親のしつけにある「人さまに迷惑をかけてはいけない」という教え。
この言葉がとても引っかかる。
私も迷惑だ!! と思うことはしばしばありますが、それって、結局は自分都合に合わないだけなんだよね。
どんな人も「自分都合」で生きているわけです。
それは見方を変えれば、自分の軸があるということかもしれない。
迷惑ってなんだ?
めいわく【迷惑】~コトバンクより
② どうしてよいか迷うこと。
③ 困ること。
そもそも、人が生きるということは、誰かに迷惑をかけているとは思いませんか?
70億人いる地球上で、迷惑だ!!と思っている人は70億人いると思います(笑)
社会問題になる迷惑行為
自覚しているものと、無自覚のものとあるとは思います。
あげたらキリがないくらい社会の問題はありますね。
一般的なルールをわざと無視し、迷惑をかけることで自分が目立とうとする心理には、生い立ちや環境などに問題がある場合が多いです。
自分の世界を維持したい、欲求を満たしたいという欲望のはけ口になっている場合もあるでしょう。
自分自身をコントロールできなくなってしまうことも。
犯罪行為にまで発展してしまうこともあるでしょう。
得てして言えることは、「自分のことを知らなすぎる」から起こる問題なのかなと。
誰しもが自分の好きなように生きたいし、幸せになりたい。
自分の在り方を模索していけば、自分の行為自体が、誰かの迷惑になることだってあり得ます。
迷惑をかけることに気を使い過ぎて、結果的に自分のパワーが出てこないことだってあります。
他人の都合に疲弊している心の持ち主は、意外と多いのかもしれません。
ある人の役に立っていることでも、ある人には迷惑になることも少なくないと思います。
人間関係を構築していく上で、「迷惑」は、かなり大きなキーワードと言えます。
言ってしまえば、他人に迷惑をかけないで生きることは難しいことなのです。
必要なのは、道徳? 倫理? 空気?
その瞬間に氣を利かせることが出来る人と、出来ない人はいます。
他人のことを考える心の余裕、感じる余裕があるか、ないか・・・だけです。
心にゆとりのある人は、「許す」範囲が広いものです。
世の万人が心にゆとりが持て、他者の幸せを案じ、我を張らないでいたら、きっと戦争は起きないです。
生きていることが精一杯の人に、ゆとりを持ちなさい・・・と諭したところで聞く耳を持つでしょうか?
自分の世界観だけが重要で、他者の世界観を受け付けない人も多く見かけます。
そんな人には、他者の世界観そのものが迷惑になってしまいます。
迷惑はかけるし、かけられるもの
大切なのは、自分自身をよくよく知って、人のことを許容できる心を育むこと。
なのかなと。
道徳、倫理、空気・・・それも大事でしょうけれども、「ゆとり」がなくなった時は、感情的にもなりますよね?
自分のことをよく理解できていれば、共有世界(社会)での自分の立ち位置を知ることは難しくないのです。
自分がどう在りたくて、それをしているのか。
自分の在り方という軸を揺らがせることなく、しっかり立っていられるだろうか。
迷惑をかけてしまったとき、自分の非を認めることが出来るのか。
迷惑をかけられたとき、相手の非を許せるのか。
その瞬間に、自問自答することができる心の余裕があるかどうか。
そんなことを考えてみてほしい。
『迷惑はかけるもの、恩は着るもの』
ある人が言っていた言葉なのですが、本当にその通りだと、今では思います。
私も、誰かに散々迷惑をかけてきた自覚があります。
だからこそ、他者からの迷惑を許せる人間になっていけるとも思います。