全体像を捉える

ものごとは、決して点で動いていない。

しかし、目に見えている範囲では、点で捉えがちです。

点で起きたと見える出来事には、必ず原因があり、起きたことは結果であるということ。

その全体像を把握して事に当たってみると、類似現象が必ず同時進行で起きているものなのです。

 

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内面を意識して全体像を捉える

自分が目の当たりにしている出来事は、自己の内面を現しているという意識でいることが大事。

見えない世界(全体)では、全て必然的です。

見ている世界(主観)では、偶発的、突発的な出来事として捉えてしまいがちです。

今抱えている自身の問題点は、自身の行動や言葉遣い、考え方、思い方、癖などで無意識に現しています。

自分の写し鏡として、見ている世界を意識したとき、違和感を感じたり、なんとも言えないイライラや憤りなどで感じているものなのです。

自分自身が認めたくない自分の姿が、心の鏡に映っているのです。

喜ばしいことも、辛いことも

自分の中にある思い全てを受け入れてみましょう。

良い事も、悪いことも、好きなことも、嫌いなことも。

心の中で阻害して、閉鎖して、蓋をしていたとしても、紛れもない自分の思いであることを認めていくことです。

嫌って端に寄せていたとしても、自分の思いには間違いありません。

全てを認めることが出来たとき、相手の中にあること、世の中にあることが、認める前とは違って見えてくるものです。

それもありなんだな

ありとして、次にすることは、解決していく方法を見つけていくこと。

なしとしていては、解決する方向には、決して進みません。

解決方法は、既に自分の中に備わっています。

自分が認められなかったことを認めていく作業をしているプロセスの中に、全ての答えが詰まっているのです。

自分の心の組み換えと、相手の心の組み換えと、世の中の組み換えとは、一見違って見えますが、原理的には同じなんです。

会社、学校など人が集まる学舎には、縁あって集った人たちが、同じワークグループとして居るものです。

その中のたった一人に変化があると、変化は伝染し、全体にまで広がります。

変化に順応する人と、順応できない人がいるだけです。

見ているトラブルは自分の内面の葛藤?

出来事を通じて、内面を見ていくようになると、全てが自分の中で起こっていることだと気づけます。

例えば、人同士がトラブっているのを見て、嫌悪したとします。

トラブルの原因は、価値観の相違。

それは、自分の中の二面性を現していて、どっちが優れている、どっちが劣っているとしたい自分の内面。

どっちかに決めたい自分に対して、自分自身が嫌悪しているということになります。

本当の自分は、どっちもありなんだよ。と言っているだけ。

互いに認め合って、そういう価値観があってもいいんだとすれば、トラブルことはありません。

喜んでいる人を見て嫌悪する

とても嬉しそうにしている人を見て、嫌悪している自分が居るならば、嫌悪の陰に隠れている嫉妬、羨望と向き合わねばなりません。

自分も喜びたいのに、何かの理由があって素直に喜べない。

本当の自分は喜んでいいよと言っているのに、喜んじゃいけないという思い込みがあったり。

こんなの自分じゃない。

人前で喜びを表わすなんて、子供っぽくていやだ。

嬉しそうな人を見ると、ちょっとイラっとする。

観察している自分の視線を意識してみる

自分の行動範囲全体を観察している自分は、どう見ているのだろう?

人間関係から行動範囲まで、全てを観察している自分を意識すると、その日の行動と出来事が思い出されます。

目にしたこと。耳にしたこと。口にしたこと。鼻にしたこと。触れたこと。感じたこと。

全ては必要なことで、必然的に起きたこと。

その時、その瞬間に、見逃していること、忘れていること、無意識にしていることを思い出せるだけ思い出してみる。

すると、自分の行動が客観的に見えてきます。

その瞬間の感情までが思い出されると、自分の像がハッキリ見えてきます。

どう在りたくて、そうしたのか

相手がいるなら、相手に対してどんな思いを抱いている自分がいたか。

物ならば、欲しかったのか、プレゼントしたかったのか、必要だと感じていたのかなど。

自分の行動と感情は常に動いているけど、実はある軸を基に動いていることまでが分かってきます。

その軸こそが、自分の本当の軸かもしれません。

 

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全体像は俯瞰して自分をみつめること

自分の軸が何で、どうあろうとしているのか。

事がスムーズに流れず、なかなか進まない事だってあります。

自分の思いが世の中に届いていたとしても、世の中から自分に届くまでの道のりがあるものです。

待っている時間、足止めされたような感覚、確信を裏切られたような感覚。

様々な困難や壁にぶつかるもの

意識できていないところが原因だったり、相手の都合が原因だったり、ルールの縛りが原因だったり。

壁に当たって、怯んでしまうことだってあります。

もしかしたら、わざわざ起こしている困難かもしれません。

困難や壁を逆境と捉えるか、試練と捉えるかでは、困難や壁の意味が違ってきます。

もしかしたら、未来には今より困難な事が待っているかもしれません。

その時、立ち向かえる勇気ある自分を見つけるためのリハーサルかもしれません。

俯瞰して自分を眺めた時、大きな流れが自分に問いかけている謎が解けることもあります。

むしろ、うまく流れに乗っている時の方が、俯瞰して自分を眺める必要があります。

人生の中には、バイオリズムのように、良いときも悪いときも交互にやってきますから。

 

先が見えなくなって、不安が心にわいてきたなら、初心に立ち戻ることも大事なことです。

初心に還り、計画を見直し、未来を意識して、心に決めたことを思い出しましょう。

再び歩む勇気を奮い立たせ、一歩また一歩・・・。

 

スピリチュアル・マネジメント・カンパニー

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