喧嘩するほど仲がいいと言います。
夫婦喧嘩は子供のころから見てきましたが、子供視点からするとメッチャ怖いし嫌なものですよね。
私のクライアントも、夫婦問題を抱えてこられる方は多いです。
いつも、男性視点と女性視点の違いに驚かされるものです。
夫婦喧嘩の原因
①価値観の相違
②金銭問題
③性格的な問題
④アダルトチルドレン
⑤生い立ちの問題
⑥浮気など疑惑問題
⑦嘘
大きなテーマとしては、この7つです。
また、結婚に対する意識の相違などもあげられますね。
私の両親
我が家の両親は、家で仕事をするいわゆる職人だった。
ずーっと顔を突き合わせているし、若いうちに結婚、しかも両親の反対を押し切っての出来ちゃった婚。
頼るところも少なく、意地っ張りの父親と、口は悪いけど優しい母親が頑張っていました。
喧嘩の原因は、決まってお酒と子供に対する姿勢。
飲むことが生きがいの父親は、ストレスが溜まると飲みすぎてしつこくなるタイプ。
ネチネチ同じことを繰り返してしまうし、酔っぱらってからが長いのが問題だった。
自分の「正しさ」を押し付け、それに見合わない行動は決して許さないと来たものだ。
そういう部分で母とよくぶつかっていた。
あまりに酷いときは、母が家を出てしまったこともある。
でも、よく一緒に遊んでくれるいい父親だった。
それは置いておいて。
夫婦喧嘩は犬も食わない
何でも食う犬でさえ見向きもしないという意から、夫婦間の細かい内情などは知りがたいものだし、すぐに元に戻るようなことなのだから、ほうっておけばよいということのたとえ。 ―故事ことわざ辞典より―
原因の7つのうちどれかは、現役夫婦も渦中にあるか、乗り越えたかにしろ、経験してきたことではないだろうか。
犬も食わないほどのことならば、なんてことないのだが。
長年連れ添った夫婦ならば、お互いの性格や内情は理解されていることが多いです。
熟年離婚のケースは、ひたすら我慢してきた妻のほうから切り出すことが多いとか。
それはそれで、晩年の孤独ほど辛いものはないと思ったりする。
早いうちに解決していくには
①夫婦ともども、腹を割って話せるのだから、互いに聞く耳を持った上で冷静に話し合うこと。
②恐怖を感じたのならば、早期に第三者を介在させて話し合うこと。
③いくら言っても直らないものは「性格」として捉え、よい面を見つけて伸ばすようにすること。
④金銭問題ならば、金銭感覚の意識のズレか、ストレス回避のための浪費もあるし、どこまで愛されているかを試している場合も。
⑤いつまでも子供だなぁと感じるときは、パートナーの両親との接し方を観察して、どんな生い立ちだったのかを聞くこと。
⑥浮気は、刺激の少ない生活を変えたい衝動が大きい。男性は排泄欲、女性は満たしたい欲が強くなっている場合もある。
そしてまず、自分のパートナーに対する接し方を見直すことが大事。
⑦嘘をつく行為は、罪悪感を裏側に抱えていますから、パートナーが本当は「すまない・ごめん」と思っていることを念頭に話し合うこと。
それでも意地張って「正当化」したり、嘘を嘘で塗り固めてしまうのには、心因性の問題を抱えている場合が多いから、専門家に相談すること。
⑧家同士の問題の多くは、縁を結んだ家の人間になる意識の欠如。
パートナーの家のことを理解して、我を張れずにいることが窮屈な場合、深刻なストレスになってしまうことも。
お互いがお互いを理解しようとする姿勢がなければ、溝は深まってしまうものです。
夫婦とも両親や家族、先祖から受け継いだ「訓」が必ずあるもの。
その「訓」とは、家訓といったように、その家で当たり前に守られてきた教えのようなもの。
無意識に、それを守ることが「正しさ」と観念化してしまっている場合が多いから、言い争いが平行線になってしまうこともあります。
お互いが「正しさ」を持ち出してしまうと、理解には繋がらなくなってしまうので、その人の「正しさ」だと分かったとき、それを認め合うこと。
そのうえで、「どう変えていくか」を話し合うことです。
様々な問題があって当然?
夫婦で何の問題もない方が珍しいと思います。
不平不満を言い合う主婦たちの井戸端会議は、昔も今も変わらないことだと思います。
ストレスの発散場として大事なコミュニケーションなのでしょう。
居酒屋で文句を言う亭主たちの姿も変わらないものです。
それぞれが上手くストレスを発散できていれば、いいのです。
夫のストレスは当たり前で、妻のストレスは認めないなどは、道理が通りませんから、不満因子になります。
その逆もしかり。
夫婦でパートナーシップが出来ているか?
パートナーシップとは、個人と個人が互いを認め合い、互いを思いやりながら、人間的・意識的・精神的・霊的な面で高め合っていくことを言います。
夫婦も千差万別でしょう。
きちんとパートナーとして認め、お互いを高め合っていける生き方を選んでいる人は多いです。
「俺についてこい」的な亭主関白を貫く人もいるでしょう。
一歩下がってついて行く妻の在り方もありでしょう。
人間対人間の連れ合いなので、喜怒哀楽も共有出来ていければ、尚いいですよね。
その共有範囲が広ければ広いほど、夫婦を超えて在る姿にたどり着くかもしれません。
別れるとき
魂的見解を言えば、ある目的を解消し合う者同士が連れ合った場合、その事を解消してしまった、あるいは、解消は出来ないと決断を下した時が「別れのとき」です。
縁があって結ばれて、縁が成就して別れるのなら、何の問題もなく別れられます。
死別もそうです。
それが寿命だと分かるくらいの夫婦ならば、笑顔で送ってあげられるでしょう。
泥沼化していくのは、解消できていない目的がいつまでも燻るのと、縁が無くなっているのにしがみ付くこと、そして法律と金。
互いが欲をかけば、泥沼です。
最後に。
夫婦喧嘩は、どんどんしましょう。
それで互いを感じ、認め合う方向に進んでいるのですから。
喧嘩するほど仲がいいと言いますしね。
ただ、喧嘩の後は、まったりとね?