喉元過ぎればなんとやら・・・、皆さんも聞いたことはありますよね。
ことわざにある『喉元過ぎれば熱さを忘れる』です。
スピリチュアルのお仕事を続けていると、つくづく思うことがあります。
そういえば、夜回り先生のサイトも閉鎖だとか・・・心中お察しいたします。
喉元過ぎれば熱さを忘れる
どんな意味かというと、故事ことわざ辞典では以下の通り。
人生は苦悩と快楽が交互に波打っているようなものだ。
水戸黄門でも、「人生楽ありゃ 苦もあるさ~♪」と歌っている。
苦しいときは、藁をもつかむ思いで、誰かの助けを求めるが、苦しみが去れば、「はい、さようなら」。
せっかくの苦悩も
誰かの助けで苦悩が解決したとき、今度は、別の誰かの助けになることが報いることだと思う。
いつも思うのだが、こういう恩を受けたならば、報いることで自分の経験を糧にしてほしい。
福祉家として活躍されていた夜回り先生。
何度も病気を患い、それでも苦悩に喘ぐ人々の助けとなる人生を選んできた尊い方だ。
そういう方に、「疲れた」と言わせてしまったクライアントたち。
私は思うのだ。
自分さえ助かればいいのか?
そこにあった大切な学びはどうしたんだ?
まさに喉元過ぎればなんとやらだ。
助けられた一人ひとりが、別の誰かの助けとなって、自分が受けた恩に、しっかり報いていればなぁ。
そういう方もいたのだろうけど。
人の相談にのるのは命がけ
相談の内容は、大半がネガティブなこと。
私は、思考もエネルギーと捉えています。
ポジティブなものは、前進に対し活性させ、ネガティブなものは、後退に対し活性させる。
相談を聞くだけでも、ネガティブエネルギーを受けまくるものだ。
読者の方々も経験していると思う。
誰かの相談を聞いていたら、ひどく疲れた・・・という経験。
そもそも「相談」というのは、その問題を自分が解決するためにすることであって、問題を誰かに背負ってもらうためにすることではない。
相談相手が病を抱えるということは、解決に向けた相談はなく、背負ってもらおうとする相談しかなかったからだろう。
エネルギー浄化も出来ないくらいのものだったに違いない。
余計な心配や、愛情不足は肺。
嫉妬や妬み、問題を理解、消化できないのは、胃腸。
報いがない状態になれば、太陽神経叢全般。
これは、抱えたものが身体に影響を及ぼす一部だ。
積み重なれば、病は重くなり、生命そのものを脅かす。
参考サイト
相談を聞くだけでお金をもらうのは
私はカウンセラーであります。
相談を聞くだけでも、しっかりお金は頂きます。
聞くということは、聞き受けるわけですから、相手が勝手に作り上げた幻想的ネガティブエネルギーを循環させながら浄化もしているわけです。
相談の中にある、作り上げたネガティブエネルギーと解決のために見据えねばならない原因とを選り分け、解決に向けた前進のエネルギーを纏わせ、巡らせます。
心理的ものから、霊的、魂的、神的ことまでエネルギー循環します。
ただの苦悩の奥には、個人差はあるものの、様々な次元のエネルギーが渦巻いています。
それらを理解し、解決しようというクライアントは、ごく少数です。
大半の相談が、ほぼ「喉元の熱さ」をしのげればいいのです。
つまり、苦悩で作り上げたネガティブなエネルギーを誰かに受け取ってもらう、または、背負わせることで、解決したと思い込み、一時的な安心を得るだけ。
相談を聞き、受け取った側は、その後の対処を必要とします。
消化、浄化、鎮静、アーシング、祓い・・・様々な方法を使い、自分をクリアな状態に戻さねばならないのです。
そこには、膨大なエネルギーが必要となります。
そこまでを含めて、カウンセリングが成り立っているのです。
話を聞くだけではありません。
この事実を理解できるのは、同業者か、それ相応の感覚を持っている方だけ。
無料で相談に乗ることは、完全に「命がけ」なのです。
相談内容はほぼ自業自得
自分の苦悩は、自分で生み出しているものに過ぎない。
ただ、その苦悩をなぜ生み出してしまっているのかということを知らないだけだ。
恋愛の多くは、自分の気持ちを相手がわかってくれない悩み。
夫婦の多くは、価値観、観念、生き方、パートナーシップ、相互理解、支配と従属・・・。
親子関係は、反抗期の対処、引きこもり・・・。
社会の事ならば、自分と社会の世界観のズレ、上司・部下・同僚などとの人間関係・・・。
人が苦悩する事は、ある意味共通した部分が多いだろう。
ほぼ、自分の事を知らないから起きていることと言っても過言ではない。
つまりは、己の無知が原因の自業自得。
そのことをまず受け入れない限り、せっかくのアドバイスをもらっても、活かしきれないものだ。
だから、同じことを何度も相談する。
悪循環だ。
私の知る限り、人助けを志している方の多くは、志半ばで病気になっている。
中には、重病化して亡くなられた方もいる。
本気で人助けをしてきた結果、自らの身体を滅ぼすまで酷使してしまったのです。
その行為は、尊さになるのでしょうが・・・。
私自身も、スキルがあるとはいえ、長年患っている病持ちだ。
そして悟ったことがあります。
なので、自分学を推奨しています。
学校で教えてくれるような内容ではありません。
「自分の事を知る」ことなので、自分の本当と対話し続けていくことになります。
私は、人を救っていません。
私自身を救っているだけです。
ただ、どこまでを私自身とするかが、私の学んでいるフィールドです。
喉元過ぎたら、腑に落とせ。
恩を受けたら、誰かに返せ。
それでやっと、自分の経験。