幸せ度を測るって、難しいよね。
自分がどれだけ幸せか、誰かがどれだけ幸せか・・・。
幸せかどうか不安だから、幸せか?と自分や他人に聞く。
なぜに、幸せなのに不安を感じるのか。
そもそも、幸せのバロメーターってあるのかな?
私は幸せです!!と言ってみて
今、その場所で目をつぶって「私は幸せです!!」と言ってみて、その時に心はどう感じているだろうか。
ちょっとした違和感を感じた。
漠然とした不安がこみ上げた。
ほんのりと温かい膜に包まれる感じがした。
心がほっこりした。
気持ちが軽くなった。
など、いろんな感じ方があるはず。
その時感じたことで不安や恐怖に結びつくキーワードがあれば、それは、あなた自身が幸せを感じられない心のブロックのあらわれ。
しっかりメモしておきましょう。
心に巣くろうブロック
幸せは、およそが気持ちの持ちようだと思います。
思い描く理想が幸せなのだ!! という定義で幸せを測っていたら、理想に届かない自分の存在は許せない。
同じように、
あの人のような生き方が幸せだ。
お金持ちは幸せだ。
恋人がいて幸せだ。
○○があって幸せだ。
参考記事
〇〇があれば幸せ!!っていう。手に入れる前と、手に入れた後という現実があるだけに過ぎないのだが・・・。ただ人の心理において、一度手に入れてしまうと、失うことを恐れる。貧乏だった人が、お金持ちになって、貧乏になるのを恐[…]
一方を幸せとしたら、もう一方は不幸という方程式が成り立ってしまう考え方は、心にブロックを作ってしまう。
自分以外のものに幸せを投影していたら、決して自分は幸せになれない。
幸せであろう姿を実践して、幸せごっこをしているだけなのです。
それも幸せの一つかもしれませんが・・・。
誰もが幸せになりたい?
人の本質的な部分で、幸魂があります。
一霊四魂の法則
一つの霊には四つの魂が宿る・・・という考え方です。
幸・和・現・奇という四つの魂が寄り集まって、一つの霊体を作り上げているのです。
※ 一霊四魂については別途記事を書く予定でいます。
誰もが幸せを求めるのは、幸魂の働きによるもので、厳密にいえば、これも幸せなんだ・・・という創造を促しています。
ですから、みんな幸せを求めていろんなことをするわけです。
幸せには「枠」がない
凄く苦しくて辛い修練の時が幸せだという人もいれば、南国の海辺でオレンジジュースを飲むことが幸せだという人もいます。
個人の価値観、創造力、生き方、思考、在り方など、幸せには「枠」がありません。
自分自身が満たされている状態が幸せなのか。
何かを掴もうとして努力しているのが幸せなのか。
誰かの幸せそうな姿を見ることが幸せなのか。
他者に注目を浴びているのが幸せなのか。
自分の想像の中で誰かを支配するのが幸せなのか。
人の数だけ幸せの在り方はあるものです。
幸せのバロメーターはない
自分の外側には、幸せを測るものはありません。
そうなったらどうなる? という設定があるだけです。
自分が求めた幸せと違ったなら、別の方法を試していくことになるだけです。
それを経験してみて、どう感じたか・・・が大事なのです。
それよりも、もっと身近の当たり前に目を向けてみましょう。
毎日の暮らしの中で当たり前にしていること。
水道から水が出る。
スイッチひとつで火が起きる、風呂が沸き、涼しくなる。
時間を共にできる仲間がいる。
食べものが並べられているスーパーがある。
今着ている服がある。
雨風しのげる家や部屋がある。
山や川や海という自然がある。
実は、幸せは「感謝」の数だけあるのではないかと思うのです。
ほんの些細な出来事に「感謝」できる心のゆとり。
当たり前に存在する人やものに、心から「ありがとう」と言える自分。
自分がどれだけ「感謝」できているかが、幸せのバロメーターかもしれませんね。