人間、生きていると「大嫌い」に必ず出会います。
その感情には秘密があるんです。
気にしているから感情が生まれる
相手がそこにいて、私がそこにいるからこそ生まれる感情なのです。
言ってしまえば、「自分が勝手に嫌っている」だけ?
相手の振る舞い、言動、存在・・・。
その全てをあなたは心の鏡に映しています。
自分の都合のいいところはしっかり映しますが、そうでなければ映したくない。
映したくない部分も、自分の心の中にはあるのです。
相手を嫌うことで「自分を嫌っている」ことにもつながります。
何がどう嫌いかを見つける
嫌いになる理由もなく、ただ嫌うことはありません。
自分の都合に合わなくなった。
相手が変わってしまって、自分がついて行けない。
相手が自分の思うように変わってくれない。
相手の行動の何かが気に障る。
しつこい。
ねちっこい。
嫌いになる理由は実に多様だと思います。
しかし、それは自分の範囲だけで考えていることがほとんどなのです。
嫌いになる共通点を探す
自分の範囲内で好き嫌いが判別されてしまっていると、自分の世界に相手を踏み込ませない壁を作ってしまいます。
相手の世界を自分色に染めようとして躍起になっている場合も。
過去に嫌いになった人の嫌いな部分の共通点を探してみましょう。
それは、自分の中で受け入れられない何かが自分の中にあることを意味しています。
もしかしたら、少しだけ観点を変えるだけで、そんなに嫌うことではないことも多いのです。
自分の都合を相手に押し付けていただけで、相手の都合を考えたら、そこまで嫌う必要がない。
相手の変化を受け入れられずにいただけで、受け入れてみたら、そこまで嫌う必要がない。
など、尊重する意識を持つだけで、嫌いから、そういう考え方や意識もあるんだ・・・と認めることが出来ます。
また、自分にないものとして、相手のことに敬意を払うように切り替えることも出来たり。
そもそも嫌いなのか?
よくある夫婦問題で、価値観の相違がありますが、よくよく話を聞くと、双方の交流にズレが生じているだけなことが多いのです。
お互いに「尊重」「敬意」「認める」「歩み寄る」ということが出来ていないことからの亀裂が多く見受けられます。
自分の世界と相手の世界、住人は一人だけではないはずです。
長年連れ合って来て、一方的な我慢が爆発するパターンに陥るのは、変化に対する意識の問題。
何を言っても、どうせ変わらない。
20年変化を求めたけど、変化する気配すら感じない。
もっと〇〇したいのに、聞く耳を持ってくれない。
夫婦である意味を感じなくなった。
=嫌い?
そうではないと思います。
パートナーシップへと切り替える
例えば、夫婦とはこういうものだ。
このレッテルが尾を引いている場合、この考えを改めねばなりません。
なぜなら、夫婦であれども、人生の歩み方は違っていいからです。
結婚→出産→子育て→巣立ち→?
ここまでは、経済的理由で夫婦をしていたかもしれません。
経済を握る方が強く、経済に依存している方が弱く・・・という図式。
生活することに命一杯。
未来の安心を手に入れることに躍起になる。
世間の目を気にしながら、ささやかな幸せを求める。
自分の本当はどこにある? という問いに答えが見つからない。
過去に作り上げられた「カタチ」に縛られ、そういうものだ・・・と諦めている場合、未来は明るくありません。
視点を「夫」または「妻」から、一対一の「人」としてみたとき、必要かどうか。
夫だから、妻だから・・・という縛りを無くして考えた時、違う目線が自分の中にあるでしょう。
ここまで来ると、「好き」「嫌い」の問題ではなくなっています。
互いに成長していけるかどうか。
その視点になっていると思います。
「パートナーシップ」において、相互理解と成長飛躍は、大切な要素です。
双方の意見に歩み寄ってみる
パートナーシップへと切り替えた夫婦は、互いの能力を認め、個としての互いを必要としていく関係へと変化していきます。
経済的な問題、子孫繁栄の問題を超えた時、結婚当初の夫婦関係は、一度崩れます。
その間に培ってきた「何か」がその後を決定していくのです。
妻が、突然自立し始めて、自分が捨てられるのではないかとビビる夫。
夫の亭主関白に我慢を重ねて、限界が近い妻。
様々な問題があったのに、目を瞑ってきた自分。
それぞれの人生観を今一度、互いに歩み寄って話し合ってみること。
互いの中にある「不安」を壇上に出して、見つめ合ってみること。
肝心なことは「全てを出す」こと。
恥ずかしいとか、綺麗ごととか、無駄とかを一度手放して、全てをさらしてみないと分からないことがあります。
その時、その瞬間に、
自分の心の中にある相手の心が掴めて、その相手を理解したいかどうかが決まります。
そこに愛はあるんか?

CMでお馴染みの言葉ですが、ドキッとした人も多いのでは?
そうです。
「愛」があるかどうか。
嫌い!!としてきた反対には、大好き!!があるのです。
つまり、「嫌い」とする理由は「好き」だからというわけ。
気にもしていないならば、感情すら湧かないですから。
ここに立ち戻って、相手を見た時、自分の中に「何」があるでしょう。
何もなければ、何も起こりません。