知識を豊富に持っている人は大勢いるだろう。
ただ、それを検証して、体験して、本当に「そうだ!!」と言い切れる知識はどれだけあるのだろうか。
情報過多なこのご時世。
ネット検索すれば、大体のことは調べられる。
曖昧な情報だって、氾濫しているのが現状だと思う。
知識とは
知識
ある事柄について、いろいろと知ること。その知りえた内容。
智識
物事の正邪を判別する智慧(ちえ)と見識。
知徳のすぐれた僧。善智識。
言葉を調べると、こんな感じで出てくる。
もしかしたら、全く違う解釈をしていたり、誤解をしてしまっている知識もあるのではなかろうか。
ふと、そんな疑問が湧いたのです。
言葉には言霊が宿る
知識を得て、そのことを色々と検証し、体験して「経験」になると常々言っている。
その体験から出てくる言葉には、「力」があって、リアルに伝わると思っている。
受け売りの言葉には、どこか力がなく、受け取った側もなんとなく懸念を持ってしまうことだってある。
言ってしまえば、「知識」は体験を伴っている言葉と、そうでない言葉とでは、同じ言葉でも違いが生じるということだ。
人は霊なる生き物。
もちろん、人に限ったことではないけれども、言葉を使いコミュニケーションを図るのは人だけ。
体験することは、人を成長させるが、霊なる自己も同じことです。
それが、そうである。
そう自分の中で体験し感じえたことは、自信をもって発言もできるだろう。
その自信が裏付けされた言葉には「霊」が宿り、言霊となる。
沢山のことを勉強して、知識を豊富に蓄えていても、体験していないことは自信がないものだ。
おばあちゃんの知恵袋
年を重ねた経験豊富な人の智慧は、必ず経験が伴っているものだ。
何度も何度も、検証して、「そうである!!」という自信あるところにたどり着いた言葉は、言霊そのものだ。
義母の作る漬物の知識。
一生懸命真似ても、同じ味にはならないのが不思議だった。
手順、材料は全く同じでも、経験というスパイスは真似できない。
義母の絶妙な加減は、季節の状態、湿度、温度、野菜の出来具合、水分量などを感覚的に捉えているものだから真似できないのだ。
先人たちに習え・・・とは、知識だけでなく、経験のことを指しているのだろう。
誤解が生む悲劇
言葉の行き違い、理解の違いが積もり積もってしまった関係は、深い溝になってしまうこともあります。
たった一言で、溝が出来、離縁してしまう夫婦やカップル。
学校や社会の中での、仲間外れ。
当たり前に起こっていることの中には、知識が深く絡んでいることも珍しくない。
それがそれなの?
どうしても、正しいか間違いかのどちらかに絞りたがる。
そんな些細なことなのに。
知識を正しく身につけるとは
言葉の意味を深く捉えようとする心構えから始まり、自分なりに経験し、検証を重ねることで、言葉を知ることだと思う。
人と違うからと、表面だけで忌み嫌うのではなく、
あの人が言うからと、表面だけで思い込むのではなく、
その言葉が心に響いたのなら、それがどういうことか検証して、自らの経験とすること。
そう私は思います。
知恵の温床は知識
たくさんの知識があれば、「知恵」を生むことが出来るようになります。
知恵とは、知識で得た経験に「発想」を加えたものだと思います。
経験豊富な人ほど、発想力も豊かなものです。
自分よりも多くの知識を持つ人と接して、見聞を広げて、経験を重ねて、心を豊かにしていくことです。
つまり。
知識を正しく身につけることは、心を豊かにしていくことにも繋がるということ。
表面だけさらって、知っているつもりになるのではなく、経験と検証を重ねて、知恵を生もう。
知恵は、さらに深くなればなるほど、「智慧」となります。
知識を得たなら、行動して、検証して、知恵を生んで・・・。
さらに深く掘り下げ、智慧を生む。
知識だけでは、人の深みは出てこないのかもしれないなぁ・・・。
もっとがんばろ。自分。