ある日、いつもの龍神と対話していたら、注意事項として、
『この盆は低級な霊たちが湧き上がってくる』と言われた。
どこから、どのように湧き上がってくるのか・・・?
低級な霊とはいったい何ぞや。
低級霊とは
ぶっちゃけ、書きはじめたらキリがない。
私の経験上、低俗な霊はいくら祓えどキリがないのだ。
「この世に残っている時点で低級霊」としよう。
中でも
・悪意のあるもの
・死んだことすらわかってないもの
・生きている時の欲望を貪ろうとするもの
これらは、生きている人に取り入って、なんとかそれを果たそうとするから厄介者だ。
生きている人より、死んでいる人の方が圧倒的に多いしなぁ。
十人十色の人の数以上に霊はいる
子供のころから霊格の高い人もいるだろうけど、どんな人にも自我の成長度合いに見合った霊がとり憑いたり関わったりするものだ。
魂の目的に沿って、低級霊たちと関わらざるを得ない人もいる。
いつまでも過去の事に縛られていて、心に闇を持つものもいる。
考え方を変えずに、自己呪縛して、欲望のまま生きるものもいる。
時間、空間の観念から外れた霊界の住人は、生前の観念と感情だけで存在するものも多い。
その多くは、残留思念と呼ばれるエネルギー体でしかない。
エネルギーは呼び合い、似たエネルギーを持って生きている人に霊たちが寄ってくるもの。
(類は友を呼ぶ)
人の世はまさにカオス
現実は精神・感情・心・肉体・霊体が混在する世界だ。
肉体を持っている人と、肉体を持っていない人が同時に、次元違いで存在していると考えたらいい。
3次元の観念で生きている人に、4次元の考え方は皆無であるように、意識の次元によって創造される世界観が決まる。
中には、4次元の観念で5次元の理を理解しようと目指している人もいるだろう。
何が高くて、何が低いかは、高い次元を知らない人にとっては、それが何だっていうのだ・・・となるだろう。
視点の在り方も、十人十色だろう。
成長や進化をするために生きる指針を持つ人と、目の前の幸せをむさぼる人といるだけ。
前者は圧倒的に少数で、むしろ後者が一般的な意識というわけなんだが・・・。
龍神の言う低級霊は、ごく一般的に当たり前な生き方をしてきた霊となる。
つまり、ごく一般的に生きていたら、「低級霊」になってしまうのか?
圧倒的少数派の成長組はどうしたらいい?
言わずと知れた低位自我と向き合うしかない。
そもそも自我とは、世界に対する自分であり、自分と他者を認識する能力。
自我がなければ、魂の成長もないのが事実です。
人のそもそもが魂と自我の合一(神人合一)にあるとしたら、自我を魂に近づけるより他はないのです。
自己認識を高めるということは、自分が望む最高を求め、意志と意識をもって生きゆくこと。
霊的な成長と自我の成長は、どんな人も比例していくのかといえば、そうではない。
なぜなら、魂と自我は、常に相反する立場を保持しているからでもある。
魂は普遍で決して折れることがないならば、自我の方から歩み寄っていくことが必要だというわけだ。
難しいことを言っているようだが、簡単に言えば、ここに書いてある。
低級霊が湧き上がるとどうなる?
自分の発するエネルギーと類似した霊たちにまとわりつかれるだろうなぁ。
一般的に言うネガティブな面が自分の中で強調されて出てくる感じだろうか。
または、置き去りにした過去の思いや、インナーチャイルド、自己中心的な欲望・・・。
隠してきた思い、他人を貶めるような発言や態度・・・。
恨み・辛み・嫉み(そねみ)・僻み(ひがみ)・妬み(ねたみ)という感情。
いずれにしても、それが当たり前の人は気づくこともないだろうな。
もし気づけたなら
本気で改心することをおススメする。
なぜなら、低俗な氣は、荒々しく、事と次第によっては病の原因ともなりえるからです。
ましてや、悪意を抱きながらの成長は、結果的に悪意に引っ張られる。
対策として
①真言を覚えておいて、霊障が出てきたら唱えること(とりあえずの対処として)
『おんあぼきゃ べうろしゃなう まかぼだら まにはんどま じんばらはらばりたや うん』光明真言
『ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー はらそーぎゃーてー ぼじそばか』般若心経
痛みや違和感がなくなるまで、何度も唱えてみること。(自己責任でお願いします)
②日頃から内面と向き合い、改善していく努力をすること
③感謝の言葉を言うようにする
④生き生きと楽しく毎日を過ごすこと
参考記事
それでもダメなら、ご相談ください。