何を善として、何を悪とするかは、その人次第である。
正義のヒーローは、悪を駆逐して、世界を平和にする・・・というけれども、悪の存在を作り上げなければ、善のヒーローすら成り立たない。
昔見たアニメのヒーローものは、善悪の観念を見事に描写して、「こういうのは善」「こういうのは悪」というものを植え付けてくれた。
子供の世界での「ごっこ」は、善の取り合い。
つまり、子供の中に「悪」を演じなければならない子が出来てしまう。
その子供は、決して悪ではないのだが・・・。
解釈は人の数だけ存在する
善悪の観念も、教えられたものと、そう感じて自分の中で培ったものとあると思う。
これがそれですよ・・・とカタチづけられたものが、そこに存在するだけ。
それを知らない人が、それをしてしまった瞬間、それを知っている人にとって善にも悪にもなりうる。
善悪も、その人にとってどういうモノであるかという解釈次第で決まるもの。
赤ん坊には、善悪の観念がない。
何が善で、何が悪であるという定義をしていないからだ。
定義自体、もしかしたら「勘違い」なのかもしれない。
アニメ「ワンピース」の主人公のルフィは、
海賊という悪の存在でありながら、人を愛し、助ける。
固定観念に縛られた人々から虐げられても、自分がそうしたいからそうする!!を徹底してやり続ける。
心の根底にある「何か」が結果的に、人から愛され、仲間の信頼を勝ち取っているのだ。
何をもって何を悪とするかに相手が迷ったとき、「それはお前が決めろ!!」と相手の意思を尊重している。
自分の思い描く在り方を自分らしく実行するルフィの姿は、善悪に囚われない存在として映る。
決して「ヒーロー」にはなりたくない!とまで言い出す。
その理由は「みんなを助ける」のがヒーローだから、無理なことはしない・・・と(笑)
我が家の座敷童子は、ワンピースに夢中です!(^^)!
自分の中の「悪いこと」に縛られる
幼少期から植え付けられた「これは悪いこと」に縛られて、大人になっても苦しい思いをしている人は大勢いる。
悪いことだからしちゃいけない・・・からだ。
その当時の大人の言い分でしかないかもしれないのに。
〇〇はしちゃいけない。
この〇〇の中に入る言葉や行為は、きっと避けて通るはず。
万が一、〇〇をしてしまったら「罪悪感」に苛まれて、勘違いの幻想の中に閉じ込められてしまう。
あなたの中にある、「〇〇は悪いこと」を見つめてみよう。
本当にそれは悪いことなの?
ただそう教わっただけの知識でしかなくて、そう思い込んでいるだけかもしれない。
自分の中の「良い事」に縛られる
悪い事と同様に、「〇〇は良い事」に縛られて居る人もいる。
良い事をすると褒められるというご褒美付きだったりするし。
ご褒美欲しさに、良い事を繰り返すなら、それは本当に良い事なのか?
誰でも褒められることは好きだろう。
自分の存在が役に立つという誇らしい気持ちにもなるし、優越感にもなる。
良い事=○○という方程式から抜け出せなくなって、逆に息苦しかったりするかもしれない。
善悪の本当って何?
この世は二元性からなる。
それは、その個人の定義した物差しで、その個人が図っているだけのこと。
自分がされていい事と、嫌なことがあるだけ。
戦争が起きることで自分が満たされる人にとって、戦争は良い事ではないか?
平和を目指す人にとって、戦争は悪い事ではないか?
浮気することで自分が満たされる人にとって、浮気は良い事ではないか?
円満を目指す人にとって、浮気は悪い事ではないか?
その〇〇をどう見て、どう定義づけて、どうしているか・・・だけではないか?
そう考えて自分の定義を変えてみたら、世界はどう見えるだろう。
この世の本当は、自分への選択肢を与えられているだけだとしたら、どうなのだろう。
善悪を超えて観る
全てが一つしかないのなら、わざわざ二つにする必要があるのか。
全てが一つしかないのなら、どちらかを選ぶ必要があるのか。
自分がどう在りたいかを考えた時、その必要ができる。
ありのままを見つめ、どっちも有りとしたうえで、堂々とそうすること。
あなたの世界は、あなた自身が創り上げる世界だから。