スピリチュアルをかじりたての頃の話。
スピリチュアルの真の目的は、「自分の位置を正確に知ることにある」という言葉に出会った。
自分の位置?
当時は本当に考えさせられた言葉の一つでした。
とある聖者の本だったか、何の本だったかは忘れてしまったけど、今でも心に残っている。
S氏との対話の中に「自分の位置」が出てきた
ふとした時、ピーちゃんにメッセージが降り、自分の位置に気づかせてほしいと。
学びを進めていくと、意識の範囲を広げるように促されることが多い。
ところが、このメッセージは非常に掴みづらいのです。
何故かと言うと、意識範囲は、無意識も含めた世界観のことを指す。
無意識は、意識していない分、脳の解析に入ってこない。
直観的、超感覚的で、印象的な閃きや、激震が走る、抜けない痛み、病などで知らせてくることが多い。
その感覚を意識させることで無意識下にある自分の面を表出させようとして来る。
意識を置くポイント
出来事を通じて学んでいる姿勢(過去型)と、先読みをして行動し学ぶ姿勢(未来型)では、次元が異なる。
次元は、方向性と力量の違いで生じるのだが、ここでは割愛する。
今まで、「これが自分の世界として見ている世界」は、自分の内面の写しであるということは先にも説明した。
その世界にはまらない世界観は、全て無意識下に置かれる。
この無意識下に置かれてしまった自分を意識下に置いていく作業になるのだが、方法はいくつもある。
①瞑想
②見ている世界に違和感を感じたら、常に原因を探る。
②対話式リーディング
大きくはこの3つだろう。
①瞑想は、言わずと知れた内観法で、これが一番手っ取り早い方法なのだが、習慣化していくことが大事。
②の方法は、洞察力、観察力、探求心が必要。
③の方法は、リーディングする他者が必要になる。
この3つが揃って出来る人は、内観を確認しながら、一歩ずつ進んでいけるので、成長も早い。
大事なことは、自分にどれだけ素直になっていけるかであり、それが鍵でもある。
S氏は、とても頑固でテリトリーを作りたい意識がある。
それは、安心材料が自分の周りにあることで、常に安心安堵していたい意識の表れで、荒い波動は好まない性格と言える。
ところが、今回のテーマは、ある意味自分の一部を壊して、広げるという作業も入るので、この先どうなることか。
時間はかかるものの、着実に一歩ずつこなしていく姿勢なので、必ず突破するだろうとは思う。
口頭での説明には、かなり困惑していたものの、図にして説明したら合点がいったようだ。
人間のライフフィールドは球体
自分の位置は、その球体の真ん中に位置するのだが、この意識で生きている人はとても少ない。
過去、現在、未来という時間軸も、実はこの球体の中にあるだけで、集合化された時間の観念とは少し違う。
感覚的に敏感な人ほど、人ごみ行くと疲れてしまうのは、大勢の球体の中の個人の情報が入り乱れてしまうからです。
脳は情報処理について行けず、時にはパニックになってしまったり。
一対一でのセッションでは、魂意識範囲が広い人ほど、正確なリーディングが出来ると思う。
自分の位置と、相手の位置を出来る限り正確に知覚したのち、相手の中にある様々な問題、障壁、トラウマ、心理的壁などを捉えていくのです。
もちろん、相手の中の素晴らしい一面、得意分野なども併せて捉えていきます。
相手の中心にある魂の思いを理解し、どう在りたいかを見抜き、その壁となる部分を一つずつ、あるいは、複数まとめて破壊、または解かしていく根気のいる作業。
痛みを伴うことも数多くあるし、理不尽な思いをすることもある。
魂には上下関係はないが、経験値の豊富なものは、経験値の未熟な者を手伝うことになることが多いので、自然の流れから縁が結ばれる。
この縁を理解し、円滑に進めていけるようになるためには、自分の位置を知ることがとても大事なことになります。
客商売や人間関係に悩む人ほど、自分の位置を知ろう
個人として、どこまでを共有場(現実世界)として、そのすべてを包む統一場(宇宙を構成している領域)からのメッセージやインスピレーションを受け取って、自分自身の役目や役割を理解できるか。
そして、どう在りたくて、どう行動していくのか。
自身の本音と相手の本音のズレや違和感を修正して、理解していけるか。
相手の望むことと、自分の望むことのズレや違和感を修正して、理解していけるか。
本質的な事は何か。
要点をいち早く捉えてしまえば、接点を発見していくのは容易になっていくのです。
自分の位置を確実に知っている人はほぼいない。
聖者と呼ばれる人であっても、日々の努力は欠かせないくらい、精妙なことだともいうし、そう思う。
普通に暮らしている分には、そんなに気にもしないことだろうが、スピリットを学ぶには、とても重要なことだと私は思う。
意識することに意志を向けない限り、この理を理解するには至らない。
そんなことをS氏に説明したのでした。
何はともあれ、「やってみる!!」
その言葉を宣言として、きっとS氏はやってくれるだろう。
そう信じている。