もうかれこれ、15年か・・・スピリットの世界に携わって、生業としてきた。
多くの魂たちの支えによって、これまで生きてこれた。
人の仕組み、世の仕組み、自然の仕組み、宇宙の仕組み・・・。
誰がどんな計画で、このような仕組みを創造したのか。
未だ尚、スピリットの謎は深まるばかり。
転生のこと
魂は普遍なる大きな存在として理解している。
ブラフマン(神なる魂)とアートマン(人の魂)として表現される。
人の魂は、自我と神我がワンセットで構成され、自由意志をもって、なりたい自分になれる仕組み。
自我=存在の保存が原則。
魂=表現が原則。
個として、存在することを自我が果たし、表現することを魂が果たすという構成になっている。
どちらかが優位に立つということではない。
魂が表現したがっていることに対して、自我が存在を脅かされるとした場合、葛藤が起きる。
目的は何であれ、魂の表現にそぐわない場合は、魂そのものが転生してしまうケースがある。
死と共に魂は去り、肉体は土に還り、自我は保存する目的がなくなり、霊体と共にあるものだと思っていた。
ところが、自我と共に肉体が保存され、魂だけが入れ替わるという現象を何度も見てきた。
転生は、死とセットになっている訳ではないのです。
転生は成長するためにある
転生の観念は、人によって様々だと思います。
成長過程も人それぞれに違いがあるものです。
基本的には、生涯通じて、一人に一つの魂と認識していたが・・・。
ヒマラヤ聖者の本を読んで、そんなことがあるんだ!?と驚嘆したことがあります。
「自分の成そうとすることが出来なくなった肉体を放棄して、魂の抜けた肉体(死者)の中に入り込み生き直すという荒業がある」と書かれていたのだ。
これには驚いた。
こんなことが出来るなら、魂は自由自在に転生できるということなのか?
自分の観念が崩壊した瞬間でした。
しかし、既に私は見ていたのです。
魂が入れ替わってしまう瞬間を。
自我と魂はバランス
魂の表現を自我が担う。
絶妙なバランスが整って、生きている実感と歓びが心を満たす。
人は自我と魂だけでなく、精神が関わってくる。
人間のライフフィールドには、幾重にもなる次元階層があり、意識する範囲によって、各階層の働きが精神に作用する。
チャクラに表される働きがそれにあたる。
なりたい自分になるために、挑戦し続けようとする意志と、自分を守ろうとする防衛本能とのせめぎ合いを葛藤という。
選択肢という交差点にあたると、右か左かで悩むようなものだ。
魂の求める方向と、自我の求める方向が一致していれば、事の流れはとてもスムーズ。
細かい葛藤はあれど、挑戦する意志が強ければ、壁や困難にあたっても乗り越えていける。
一致しなければ、不安と挑戦が同じ力で引っ張り合い、停滞する。
不安が強ければ、挑戦することをやめて、自己保存の原則によって、同じ場(フィールド)に居続ける。
精神とは
自我と魂の狭間に精神が介在し、絶妙なバランスを取ってくれる。
精神に歪みが生じてしまうと、自我と魂のバランスが崩れてしまう。
1 人間のこころ。また、その知的な働き。「健全な精神」
2 物質に対し、人間を含む生命一般の原理とみなされた霊魂。たましい。
3 物事をなしとげようとする心の働き。気力。「精神を鍛える」「精神統一」
4 物事の基本的な意義・理念。「憲法の精神」
5 ある歴史的過程や共同体などを特徴づける意識形態。「時代精神」「民族精神」出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
辞典には上記のように書かれている。
いずれにしても、物質形状を成していないので、感覚的に捉えていくしかない。
人は自我を中心に生存しているものです。
魂の表現を自我が受け入れるにあたって、精神の働きはとても重要であると言えます。
自我・魂・精神の活動範囲が心
心は、ここからここまでと範囲が掴めないものです。
心は懐と表現されます。
懐は、心を抱える、抱くという意味。
知識が豊富で、自分をしっかり見つめて、あらゆることを許してきた人を、懐が広い・深い人と言います。
こういう人は、自我と魂と精神のバランスが整って、着実に人として成長していると言えます。
生きながらに魂は転生する
人の成長とともに、魂も成長していくのだが、人の成長が著しいと、魂の目的とした設定を超えてしまうことがある。
すると、人の成長に見合った魂と入れ替わって、人の成長を手助けする。
逆のパターンもある。
人が成長を嫌い、自我の保存を中心とした在り方を選択し、長く停滞してしまうと、成長したい魂は、次の肉体を求めて転生してしまう。
残された人には、目的に見合った魂が降臨する。
時に、神の計らいで、そんなことが起きているのだ。