目が覚めた瞬間は快調の気がしていたけど・・・。
実際に起きてみると、身体がしんど過ぎる。
唇には、口唇ヘルペスの兆候がでて、頭痛とだるさで、結局ダウン。
メッセージは、霊界が落ち着いたとか、山の天地の氣が塞がっているとか。。。
も・・・盛沢山やん!!
ダウンしてみた夢
先日公開した龍神からのメッセージの中に、「魔」が登場する。
「魔」とはなんぞや?を考えさせられるような夢をみた。
セミナーやら、講演会やら、いろんな人がいろんな事をしている場面。
その話を鵜呑みにしてしまい、自分の経験や体験を無視してしまう流れが生まれていた。
曲解された体験を信奉し、自分の道とは違う方向を選ぶ人。
その方向へと導いてしまう人。
その姿をちょっと高いところから俯瞰して眺めている私がいる。
隣には、龍神らしき存在がいるのだが、いろんな場面を観させられた感じでした。
つまりは「無知」な人を相手に、正道と違う知識を埋め込んでしまうことを指しているようだ。
そもそも、正道とは何ぞや
スピリットに関する事で言えば、「正道」の捉え方は多様だと思うんだ。
「これが正しい!!」ってのは、言ったもの勝ち的な要素をはらんでしまう。
これが意外に多い気がする。
人それぞれのやり方、導き方はあると思うし、全てが間違っているわけではない。
一生懸命、自分の役目を担おうとしているのは、何も間違いではないと思う。
自分の正道を他人に押し付けることなのか?
他人の正道を見つけてあげることなのか?
私が思うに、個々の魂に沿った導き方があるように思う。
魂の意図こそ、その個人の正道であって、魂の意図に気づかせることが大事だと思うんだ。
魂にも直・曲がある
魂には直霊として働く流れと、曲霊として働く流れがある。
表面的に出てきたときの表現なんだけどね。
この世は「二元性」によって自分を理解できる仕組みになっているから、どんなことでも「表裏」があるのです。
善悪・上下・左右・・・なんでも二元性になっています。
魂意識に生きようと決めても、「それが正しい」を知るには、「それが間違い」を知らねばならない。
「それが善いこと」も「それが悪いこと」を知らねばならない。
どんなことも、反対側があるから、反対側を知らなければ、本当を知ることが出来ないという仕組み。
魔とはなんぞや
敢えて「魔」と表現してきたのには、理由があるように思う。
魔が差す・・・とかいうじゃないですか。
考えてもいなかった、誤った判断や行動をすることを意味することわざ。
先の魂の働きにも表裏があるように、感情的、感覚的、突発的など、あらゆる場面で素直・直霊で在れる人はそう多くないのかも。
どんな人にも「魔が差す」ことはある
その経験、体験の中で、「やっぱりこうだ」と思った瞬間に、その行動がとれるか否かが大切なのだ。
いつまでも引きずったり、心に悔い(杭)を残したり、恨んでしまったり、自分をいじめたり・・・。
人だから、いろんな経験を積むものです。
目の前に「魔が差した」人を見た時、出会ったとき、迷惑を被ったとき、自分ならどうするか。
そこに「慈しみ」があるのなら、「許す」ことは難しくないでしょう。
ただ、そう簡単にいくわけもないのが現実ですよね。。。
元旦の不調のテーマはそんなことのようです。