植物は、なぜ四季を知っているのでしょう。
毎年同じ時期に咲く桜の花は、春の風物詩です。
梅雨の花、夏の花、秋の花、冬の花。
人は植物のその時を見て、情緒を感じたり、季節を感じたりしています。
植物は、今その時にそれをする。
植物は、その時を知っているかのように咲き、散っていく。
動物たちも、冬眠したりしますよね。
今がその時!!をしっかり感じ取り、そこに素直に行動しているように見えます。
人は、創意工夫をし、自分たちの都合のいいように、モノを変えてしまいます。
それは進化の一環なのでしょうが、一番大切なことを忘れてしまっているようにも思えます。
自然に生きる
電気の無い時代は、日が暮れたらロウソクや松脂で僅かな明かりを灯して、就寝時間となっていました。
ガスの無い時代は、食事の支度も一苦労です。
水道がない時代は、毎朝の水汲みは重労働だったことでしょう。
電話の無かった時代は、要件を伝えるのに手紙を活用していました。
時間にもゆとりがあり、想像力も豊かだったのではないかと感じます。
日の出と共に起き、日中は仕事をし、夜も早い就寝だったと思われます。
私の妻の実家は、長野の村ですが、自然の流れに従って、自然に暮らしているように感じます。
東京にいると、なぜか深夜まで起きてしまうのですが、実家に帰ると早くに眠くなり、朝の目覚めもいいのです。
からだの求めているサイクルがあるといつも感じます。
自然の中にある動植物たちは、自然の営みと足並みを揃えた暮らしをしている。
感覚的なものも、自然の流れから感じ取り、当たり前のこととしているようにも感じます。
ところが、人はどうなのだろうか。
今がその時・・・
そう感じられればいいのですが、その感覚的なものを忘れてしまっているようにも感じます。
例え、今がその時・・・と感じても、行動できないようにしてしまっている場合もあるように感じられる。
思い立ったが吉日
何か物事を始めようと思ったら、日を選ばずにただちに着手するのが良いという教え。
「吉日」とは、暦によって知る縁起の良い日のことだが、このことわざでは物事をするのに良い日のこと。
今がその時!!
そう感じてすぐに行動できる人がどれくらいいるだろう。
行動する前に考えてしまう癖は、いつの頃からそうなっただろう。
でもなぁ・・・と、自分の感じたことを肯定できないのは何故なのだろう。
やっとけばよかった・・・と後悔したことがどれだけあっただろう。
これらは全て、自分の感覚を何らかの理由で認めていないことが原因だったりします。
自然回帰への欲求
時々、自然に還りたくなって、自然を求めて旅したり、キャンプや温泉に行ったり。
それを「癒し」と呼ぶ人たちもいる。
現代社会は、法律やルールなどの社会的制約も多く、自由な時間が少なくなってしまったのかな。
いつの頃から経済至上主義になってしまったのだろう。
そんな暮らしをしていたら、ストレスが溜まりまくって当然だろう。
それを当たり前としていればいるほど、自然の感覚は麻痺してしまうのではないだろうか。
自由に生きる
あらゆる制約から解かれたとき、あなたは何をするだろうか。
本当に自由に生きていいとしたら、どんな生き方を選ぶだろうか。
大地を踏みしめ、大きな空を眺め、ちっぽけな自分を感じたインドの記憶がよみがえる。
世界の見方が変わった瞬間を今でも覚えている。
宇宙に溶け込んで、創造の意味を知ったときの瞬間を覚えている。
光ることの大切さを覚えている。
それらは、今この時も自分の中にある。
本当に大切なことは、今この時に、自分の全てを解き放って、感じたままに在ることだろう。
そう感じる。