憎しみを解消する

 

誰しも、自分に理不尽なこと、嫌なこと、ムカつくことなどが起きると、「憎しみ」を抱くことはあります。

相手は、時に人であったり、時に世間であったり。

その憎しみは、ごく当たり前に湧き上がってくる感情なのですが・・・。

憎しみは持ち続けると不幸になる

以前から「人は鏡」「世間は心の写し」と言ってきました。

人を恨んだり、憎んだりし続ければ、それは自分自身を傷つけていることに他なりません。

人や世間を憎み続けることは、諸刃の剣です。ブーメランの法則によって、必ず自分に返ってきます。

つまり、何かを憎み続けて、自分を傷だらけにしてしまえば、それは最も不幸なことだとも言えます。

愛情の裏返しであったり、思い通りに行かなかったり、価値観の相違や、認識の違いといった「誤解」であることも多いものです。

そもそも、「なぜ起きた?」「自分にもそういう面がある?」「どんなメリットがある?」

そう考えられるようになると、「憎しみ」は捨てたものじゃないのです。

 

憎しみは消えてくれない

そんな思いをしても何の得にもならない・・・と忘れようと心のゴミ箱に捨てたとしても、憎しみを生んだ自分の種は消えてなくなることはないのです。

またいつか芽を出して、憎しみを味わうことになってしまいます。

些細なきっかけでも芽は出てきます。

その都度、忘れようとしても、芽を出す種を摘まなければ、なくなることはないのです。

ゴミ箱に捨てた憎しみは、より腐ってしまい、増々酷い仕打ちになることも・・・。

 

憎しみの根っこにあるものを理解する

それには、「なぜ? 」と自問自答し続ける覚悟が必要です。

憎しみは嫌悪の対象ですし、理解するのは決して楽なことではありません。

思い出すたびに嫌な思いをすることは間違いないもの。

しかし、見つめ続けなければ、憎しみの根っこにある自分の本当の思いにはたどり着けないのです。

憎しみは「慈しみ」の対義語です。

相手が人であれば「慈しむ心」を見失っている。

相手が世間であれば、「慈しむ精神」を見失った世界を見ている。

相手が何であれ、見失った、誤った見解が集合意識として成っているだけ。

自分の中に「慈しみ」があったか、なかったか。

それを思い出してみましょう。

どんなに自分が傷ついても、相手を思いやって慈しむ心で見てあげられていたでしょうか。

 

 

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憎しみは、自分の中の慈しみを見つけるためにある

どんな感情にも表裏はあるものです。

怒りと思っていたことが、実は愛してやまない、傷ついてほしくない現れだったりとか。

憎しみの感情は、自分の中にある「慈しみ」を見つけるためにあるものと捉えたら、メリットは大きいです。

好き嫌いの感情と同じように、愛と憎しみは対立した感情であるが、好き嫌いの場合には感情的評価が主となっており、愛憎はより衝動的なものである。この対立した感情のなかには、羨望(せんぼう)、嫉妬(しっと)、敵意、恨みなどが隠されている。愛憎の対立は「かわいさ余って憎さ百倍」といわれるように、相互に転換されるものである。フロイトは愛は性衝動に由来し、憎しみは自己保存の衝動に由来するというが、この限りでは、愛より憎しみのほうが発生的に早いと考えられる。愛憎の対立が現れるのは、性心理的な発達段階でいえば、男根期(エディプス期)以後になってからといわれる。それ以前の発達段階では、性衝動は対象を征服し支配し、ときによれば破壊しようとする傾向があるので、愛と憎しみを区別することは困難である。このため愛と憎しみは、無意識系では区別されないものと考えられる。これらの感情はもともと両面感情的であり、ときによって愛あるいは憎しみとして意識されるにすぎない。[外林大作・川幡政道]『フロイト著、小此木啓吾訳「本能とその運命」(『フロイト著作集6』所収・1970・人文書院)』 

~日本大百科全書(ニッポニカ)~

 

憎しみ、慈しみの元にあるものは「愛」

 

愛より生まれ出た感情が、何かによって二つに分かれ、一方は「憎しみ」、もう一方は「慈しみ」になって現れているだけなのです。

自分を守ることで一生懸命な人は、防衛本能や支配意識が強く働き、「憎しみ」として愛を表現している。

自分と同じくらい他者を大事にする人は、思いやり精神が強く働き、「慈しみ」として愛を表現する。

愛を学ぶためには、傷つけられ、その痛みを感じ、知る過程が必要。

傷つけられる痛みを知らなければ、人は傲慢になり、人を愛することができない。

傷つけられる経験は、その痛みを知ることで、優しさを備える為のもの。

傷つくことを知らなければ、成長はない。

傷つけられることで、思いやる大切さを知ったなら、その経験は尊い財産。

あなたを傷つけた人は、その気づきを与えてくれた人。

あなたを傷つけた人は、相応の未来が待っているのに、自分の身を犠牲にして教えてくれた人。

ゴルゴダの丘でのイエス

きっと、イエスは、最期まで「憎しみ」より「慈しみ」を選んだのだと思う。

自分はわざわざ磔にされ、「慈しみ」を知らぬ未熟な者たちへ「愛」とはなんぞやを教えたのだろう。

多くの人は、自分が大事。

それも、肉体が自分だと思っている。

命を賭けて、愛の在り方を表したイエスは、キリスト意識をもって、「憎しみ」の生む悲惨さを、人々に見せたのだろう。

『神よ、このものたちはまだ未熟者なのです。神よ、私を痛めつける未熟者たちを赦したまえ。』

 

憎しみを解消するまとめ

憎しみを解消するには、自分の愛を掴まねばなりません。

憎むことも、慈しむことも「愛」ですから、選択しなければなりません。

自分を傷つけた人を赦し、感謝せねばなりません。

これだけできれば、自分の中の憎しみは消えます。

憎しみで埋まっていた心は、やがて慈しみに溢れた心へと変わります。

それだけ自分を大きく成長させることが出来るのです。

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