平和を思って悪魔になった巫女

ここ数日、なんとも言えない「しんどさ」にやられていた。

しんどい・・・気持ち、心持ちが重々しい感じ。

いろんなことが空転している感覚で、うまく運ばない。

ひょんなことから、ブチギレてしまった。

それで、ずっしりと重い一日となってしまった。

 

伊邪那美命からの神託

イザナミ

天地開闢において神世七代の最後にイザナギとともに生まれた。オノゴロ島におりたち、国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子をもうける。その中には淡路島・隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生んだ。

火の神軻遇突智(迦具土神・カグツチ)を産んだために陰部に火傷を負って病に臥せのちに亡くなるが、その際にも尿や糞や吐瀉物から神々を生んだ。そして、カグツチはイザナギに殺された。

死後、イザナミは自分に逢いに黄泉国までやってきたイザナギに腐敗した死体(自分)を見られたことに恥をかかされたと大いに怒り、恐怖で逃げるイザナギを追いかける。しかし、黄泉国と葦原中津国(地上)の間の黄泉路において葦原中国とつながっている黄泉比良坂(よもつひらさか)で、イザナミに対してイザナギが大岩で道を塞ぎ会えなくしてしまう。イザナミは閉ざされた大岩の向こうの夫にむかって「愛しい人よ、こんなひどいことをするなら私は1日に1000の人間を殺すでしょう」と叫ぶ。イザナギは「愛しい人よ、それなら私は産屋を建てて1日に1500の子どもを産ませよう」と返した。そしてイザナミとイザナギは離縁した。

この後、イザナミは黄泉の主宰神となり、黄泉津大神、道敷大神と呼ばれるようになった。wikipediaより抜粋

以前もイザナミの試練をこなしたことがあったけど、毎度毎度、かなり辛い。

私自身も、背中の痛みが酷く、蕁麻疹もかなりひどい状態になっていた。

台風20号の影響で浮かび上がってきたこの試練。

丁度、淡路島あたりを通過中に、私はブチ切れた。

 

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霊媒のピーちゃんの一言がきっかけで、私の怒りスイッチが入り、ピーちゃんを罵りまくった。

心の中では、「どうしてこんなに怒っているのか?」と思いながらも、次から次へと罵倒する言葉が出てくるのだ。

小一時間、罵りまくっていたら、ピーちゃんの様子が変わり、元凶であったモノが表出してきたのだ。

ピーちゃんの魂に張り付いた蚕の繭みたいなもの。

その中にいたものは、、、

平和を思って、人の悪意を集めていた巫女

苦しそうな表情で出てきたそれは、言葉も話せないくらいだった。

う~、あ゛~・・・・モゴモゴ・・・。

こういう場合は、ペンを持たせる。

すると、

『わたしは、人の悪意を一身に受けてきた。わたしは巫女、悪意を吸収することで世の平和を守るのが務め』

そう書いた。

私は、「お前はバカか?」といった。

巫女は、なぜ?と、キョトンとした顔をしていた。

私は、「そもそも人の悪意を集め吸収したところで、平和にはならない。」と伝えた。

どうやら、ある時代に生きていた巫女らしく、悪意を吸収するように誰かに命令されていた様子。

巫女自身は、身体が硬直して、リウマチの酷い感じになっていた。

身動きが取れなくなり、吸収しきれなかった悪意が糸のようになって絡みつき、繭みたいに見えたのだ。

人の言いなり。

何かが違うと感じていても、それが正しいとしている。

純粋がゆえに、信じたものを疑わない。

与えられた使命感。

世のため人のため。

「人の悪意を集め吸収することが、世の平和を守ること」と信じ続けた結果、悪意の放つ波動で世を混乱させてしまうという、本末転倒な話。

悪意は、悪意を呼び、悪意の塊となってしまった。

その塊は、悪意そのものだから、忌み嫌われ、さらなる悪意を呼び起こしてしまう。

 

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彼女の本心は、世の平和を守ること。

身を犠牲にしてでも、そうしたかった心根には頭が上がらない。

 

巫女の纏っていた悪意の繭を宇宙のごみ箱に捨て、身綺麗にした。

一身に受けてきた人の悪意は、霊体の隅々にまで浸透していた。

水のエネルギーで浄化して、あの世へと送った。

巫女は、終始涙を流していた。

 

それをやらせていた人

何の目的で、純粋なる巫女に命じ、最期のケツも持たずに放置していたのか。

およそ呪詛のように巫女を縛り付け、純粋さを利用した人。

偽善の塊のような感覚がする。

自らを善としたいがばかりに、そうしていたのか・・・?

この世から悪意が無くなれば、平和になるとでも思っていたのか。

自分に向けられる悪意を巫女に背負わせていたのか。

人の上に立つものの在り方次第で、このような結果になるという事実。

色々考えたが、とても胸糞悪い思いでいっぱいになった。

きっと、あの世のどこかでこのやり取りを見ているはず。

 

人の悪意は無くならない

どんな人にも「悪意」はある。

気に入らないこと、自分を正当化したいとき、被害者、加害者・・・。

陰陽の法則を知っていれば、それは分かるはずだ。

それを「悪」とする意識と観念が問題なのに。

平和を知るために、平和でない環境を与えられているのに。

自分を善とするなら、誰かを悪にしなければならない。

国家でも同じだ。

だから戦争が起きる。

戦士たちは、自国の正義を掲げ、悪と戦っているのだ。

相手も自国の正義を掲げ、攻め入ってくる悪と戦っているのだ。

同じ人間同士が、善悪の分別のためだけに戦っているのだ。

だから戦争のあとは「虚しさ」しか残らないはずだ。

復讐も同じ。

自分が傷つけられたからと相手を傷つけることで満たされるという錯覚。

復讐したあとは「虚しさ」しか残らないはずだ。

きっと、あの巫女も虚しさでいっぱいだと思う。

こんなはずじゃなかった・・・と。

 

生きるのが善なら、死することは悪なのか。

生きる希望、死の絶望。

イザナギとイザナミの最後のやり取りのようだ。

この世は善で、あの世は悪なのか。

人は善で、幽霊は悪なのか。

 

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偏ったモノの見方がそうさせているに過ぎない。

ただ知らないというだけで、偏りが生まれてしまう。

自分と他者を区別することだけでも、偏りは生まれる。

いじめの問題。

パワハラ、モラハラ、セクハラ・・・。

自分が悪意としていなくとも、誰かに悪意ととられる場合だってある。

 

イザナミの神意を掴まねばならん。

人の在り方を問われる時代になりゆく。

己の内に耳を傾け、己を見つめ直すとき。

おのころ・・・おのころ・・・。

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