体主霊従・霊主体従

タイトルを見て、何?と思った方もいるでしょう。

どういう意味か。

スピリチュアル観は、霊も含めた世界の見方と自身の在り方を模索します。

人の中には「自我」と「神我」(魂)の二重構造が存在しています。

どっちかに傾倒するように出来ていますが、仏陀の教えの核心である「中道」こそが、神人合一(悟り)の要と感じています。

自我と魂の折り合いをつける方法として、「霊主体従」と「体主霊従」という考え方が生まれました。

 

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体主霊従=体を主として、霊を従わせる意識形態

ルネサンスを境に科学が発達し、体に霊が従うという生き方が主流となり、その結果、人間は物質的な豊さと一時的な幸せを手に入れました。

しかし、永続的な幸せを見いだすことができず、新たな道を模索しているのです。

シュタイナー(オーストリアやドイツで活動した神秘思想家、哲学者、教育者)によれば、「人間は盲目的に神を信じるという時代を経て、自我が芽ばえ、発達し、やがて自我が神を受け容れる時代がくる」と言われています。

霊主体従=霊を主として、体を従わせる意識形態

人間の構成要素を霊(魂)と肉体に分けたとき、主体となるのは霊であり、体は霊に従うという考え方。

その反対が体主霊従。

神を信じる人は人間の本体は霊であると捉えますが、神を信じない人は人間の本体は肉体(+心)と捉えます。

本心の心が霊であり、思いの心が体となる。

相対の世界では、目に見えるもの(体)が主であり、目に見えないもの(霊)は非科学的として、オカルトの世界へ追いやられているのが現状です。

 

なのですが・・・。

身体が自分であるという意識か、霊が自分であるという意識かの違い。

なのですが・・・。

この違いは、価値観、定義、捉え方、感覚、観念などといった、心の持ち方、意識の在り方が、大きく異なってきます。

 

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体主霊従が一般的な感覚となっている今、霊主体従の在り方は異質に見えてしまうのです。

スピリチュアルという言葉が世に出てきたお陰で、少しずつではありますが、体主霊従から霊主体従へと移行しているのかな。

霊は目に見えない。

見えないものは信じられない。

たとえそれが見えなくとも、意識はできる。

意識しているのは自分だ。

我が家は毎日がオカルト

見えない存在たちを意識に入れているだけなのですが、見えない存在たちからすると、意識されていることで存在が認められていると感じるのです。

その空間を3人で常に共有しているので、見えない存在たちは、当たり前に自己表現をしてくれます。

それぞれ個性があって、共存していくために協力し合って、互いに幸せを感じています。

例えば、植物と人間。

観葉植物をただの飾りだと思うか、生きている尊い存在と思うかでは、意識の範囲が違う。

うちの観葉植物たちには、それぞれ精霊が宿り、毎日が運動会みたいなことになっている。

精一杯、命を楽しみ、その楽しみを共有している。

生気がみなぎり、躍動しているのです。

日当たりの良くないマンションの一室ですが、緑は濃く、生き生きとしています。

植物の霊体のことを精霊と言いますが、霊体を主とした意識であるからこそ、それを感じられるのです。

精霊たちも、私たちの霊体と様々な交流を持ち、共存しようとする意識で応対してくれます。

万物に霊在り

石にも精霊は宿り、ペットも霊体を持つ。

霊主体従の意識で、石と対話することだって可能だし、ペットだって同じ。

体主霊従の意識で、石と対話しようにも、相手はただの石。

万物に霊が在ると観るか、ただの物として見るかは、その個人の意識次第。

物質と波動

量子には、波のようにふるまうこともあれば、粒子のようにふるまうこともあるという粒子と波動の二重性があります。

要するに、意識したときは粒子として固定化し、意識していないときは波動として流動化する、という考え方。

自分自身が意識できている世界は、固定化された現実が投影されている状態。

意識できていない世界は、流動化された無意識現実が投影されている状態。

霊主体従の意識では、体主霊従の意識で固定化されていない霊的な面を主として意識するので、見ている世界の範囲が広い。

見ている世界=自己の内面

相手がいて、お互いが霊主体従であれば、共有意識、意志の疎通は実に容易であります。

相手がいて、それぞれが霊主体従と体主霊従であれば、世界観、価値観の相違が生まれてしまいます。

 

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どっちもあって、人間の世界だと思う。

どっちに偏り過ぎても、歪みになってしまう。

神なる自分と、人なる自分と両方を理解したうえで、どう在ろうとするのか。

人類の進化には、意識の革命が必要だと思う。

どちらの在り方も人の在り方です。

意識の範囲も、自分次第。

人は進化するためにあらゆる努力をし、変化し続ける生き物だと思う。

これからの時代、いろんな変化が身の回りで起きてくるでしょう。

その変化に対応していくには、体主霊従から霊主体従へと意識改革していくことをおススメする。

①自分の中の観念を書き換えていくこと。

②偏見を見直し、あらゆるものの存在を認めようとすること。

③神仏との関わり合いは、どう避けても無駄だということ。

④魂を意識しようと試みること。

⑤目の前の他人に自分が投影されているとすること。

⑥この世に「偶然はない」と知ること。

以上6つのことを自分の中に取り入れてみたとき、自分自身の内なる変化が始まります。

葛藤し始めたら、始まりの合図ですよ。

スピリチュアル・マネジメント・カンパニー

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