世界観は、十人十色
「約束」と、「在り方」の青写真を持って、この世に誕生する。
人生の途中で思い出す人もいれば、全く思い出さずに生涯を過ごす人もいる。
意識的に過ごす人もいれば、無意識に過ごす人もいる。
おおよその人に、本当の自己に巡り合うチャンスは訪れています。
変化の兆し
突然訪れる人もいれば、段階を経て訪れる人もいます。
自分の人生を簡単に振り返ってみましょう。
親元で生まれ、両親または相応の大人に育まれます。
やがて学生時代を経て、社会に出たことでしょう。
大人のすねをかじる生活から、自分で稼ぎ生活していくスタイルに変わっていきます。
そして様々な社会ルールに縛られつつ、その枠に順応するのも、その枠から外れるのも、自分なりの考えで、生き方を模索してきたことでしょう。
誰しもが社会の枠組みを受け入れながら、己の自由を求めています。
そして、個としての自分(個性)を表現しているのです。
あらゆる矛盾と出会い「何故?」と問いかける時がくる
この「何故?」の捉え方、受け行け方によって、生き方の大きな別れ道になります。
善悪に対するもの、自分の境遇に対するもの、生まれ育った環境、自分の存在価値、自分の存在理由、なぜ生まれてきたのか、人との接し方、優位を争う権力闘争、等々・・・。
この「何故?」を生み出す漠然とした悩みから脱していくのに、もがき苦しむ者、己に素直に生きていく者、社会常識を軸に自分を説得していく者など、様々なあり方を選択するのです。
このように、人生とはあらゆる選択肢からの選択を繰り返して歩みます。
そしてその歩んだ道が経験となり、その後の人格を形成していくのです。
それと同時に、観点、視点も個々で変わっていき、価値観や思い込みなども積み重なっていきます。
当然、同じ人はいません。
同じような人はいても、やはり生き方はそれぞれ別々なのです。
何かを基準にすれば、何が正しくて、何が間違っているという判断はできるでしょうが、このような正否には、必ずと言っていいほど、矛盾が生じます。
この基準、この矛盾に対する答えの模索が霊性の始まりなのです。
勝ち組、負け組などの言葉も流行しましたが、何を基準に勝ち負けを決めているのでしょうか。
人はどうしても白黒つけた答えを常に求めてしまいます。
そして自分の都合にあった答えを導こうとする傾向もあります。
この繰り返しで一生を終える人がほとんどではないでしょうか。
一生を終える間際、この人生に悔いは無い・・・
と言い切れる人は何人いるのでしょう。
本当にこの人生でよかったのでしょうか・・・。