わが街には、沢山の桜が咲き誇る。
大学のキャンパスへと向かう道には、見事な桜が華やかさを彩る。
春になると、この街に来てよかったなぁ・・・とつくづく思うのです。
普段、車移動が多いのですが、この時期を迎えると歩きたくなります。
運動不足の身体に鞭打ち、ゆっくりと彩を楽しむ心の余裕を存分に味わいます。
春は陽気が急上昇
冬に溜めてしまった身体の毒を排泄し、気の巡りと共に湧き上がってくるものを感じる。
そういえば、先日行った定期健診では、中性脂肪とコレステロール値が上がってたなぁ・・・(苦笑)
スーパーに並ぶ、大根や菜の花に目が向くわけだ。
デスクワークや電話応対が多いので、どうしても運動不足になりがち。
以前はジムにも行っていたのだが、気力の消耗が激しく挫折。
とはいえ、霊力と気力はイコールみたいなものだから、普段から鍛えて・・・なんて思っていても、これがなかなかねぇ。
春は、魂たちも芽吹きの時期でもあるのかな。
少しずつ、やる気が出てくるものです。
それと同時に、サポートしている我々もそれ以上に気力を使う時期でもあります。
春が短くなった?
地球温暖化とか、ポールシフトとか、いろんな情報が飛び交う現実ですが、身体の自然対応能力は素晴らしくて、どんな環境にも馴染んでいく働きがあります。
最近は、春が短く、あっと言う間に夏模様になっていく。
ゴールデンウィークあたりには、30度を超える気温になっていくのかな。
私は、初夏の草木の香りが大好きで、あの独特な香りを嗅ぐとテンションが上がる。
多摩川の河川敷に出かけては、川の流れを日向ぼっこしながら、ただボーっと眺めていたり。
このボーっとしている時間が、魂の安らぎを感じる、瞑想タイムなんです。
悩んだり、つまづいたりした時は
とにかく、心にある不安や懸念を「ただあるがまま見つめるだけ」の瞑想をおススメします。
静かな場所で、リラックスして、心にあるものをボーっと眺めるのです。
どんな人にも不安はあるし、理不尽さや懸念材料を抱えて、悩んだりするものです。
私自身、不安だらけです。
だけど、この不安を嫌うことはせず、ただそう感じている自分と向き合う時間を作ります。
不安がなぜ自分の中に生まれて、それを不安だとしている自分がいて・・・。
でも、ボーっとその自分を眺めていると、環境や状況、未来のこと、お金や仕事の事などに反応している自分が見えてきます。
反応の仕方を眺めていると、以前の自分となんら変化してなかったり、他の問題とすり替えていたり、起こってもいない事を想像していたり。
すると、変えるべき自分の像が見えてくるのです。
ボーっとしながら、『この反応を変えてみよう』と、それだけを意識するのです。
すると、不安だったことが、スーッといなくなり、違う反応をしようとする自分と出会えます。
寂しくなったとき
突然の孤独感とか、なんだかポッカリ穴が空いた感覚、ふと一人ぼっちに感じた瞬間。
そんなときも、ボーっと瞑想をおススメします。
私もとても寂しがり屋です。
そのくせ、一人でいたがるめんどくさい奴です。
そのくせ、一人遊びが出来なくて、妻にいつも笑われます。
家人たちが誰もいなくなって、一人でいるときは、なんだか解放された感覚とともに、心では寂しさが同時にあったり。
そんなときも、椅子に座ってボーっと自分の周囲のモノや存在たちを感じる瞑想をします。
私の周りには、沢山の応援者が居て、常に語りかけてくれている。
主護神霊をはじめ、龍神や稲荷さん、精霊も神々も座敷童も・・・。
いろんな人々の魂たち。
最近は、寂しさを感じなくなりましたが、以前はとっても寂しんぼでした。
春は芽吹きと変化の時期
自分と向き合うことは、自分を楽しむことにも繋がっていきます。
どんな自分も愛せるようになると、観ている世界は愛で満たされていることが分かります。
嫌ったり、憎んだり、罵倒したり、蔑んだり・・・。
そんな人は、観ている世界もそんな風に見えてしまいます。
自分を愛するって?
ただあるがままの自分をそのまんま認めてあげること。
判断せずに、決めつけずに、偏らずに。
そのまんまを抱きしめてあげること。
「これでいいのだ!!」
そう自分に言ってあげること。
ただ、それだけのことだと思います。