魂は誘惑にさらされている

人間とは、元来、嗜癖する生き物だという本を読んだことがある。

嗜癖とは、あるものを特別に好む性癖、中毒癖、依存癖。

夢うつつの中で、誘惑についての考察を誰かと話していた。

 

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何かを好むのは当たり前にあること

それが過剰となりすぎると、精神的な面で依存や執着を生み、身体まで達すれば病となるわけだ。

タバコやお酒は、中毒性の強いもの。

程々にコントロールできれば、身体にも心にもプラスに働く場合もある。

私自身、愛煙家で、タバコの中毒者です。

お酒は、酔う感覚がどうしても好きになれず、また仕事に差し支える部分も大いにあるので出来るだけ飲まない。

タバコについては、体内の邪気を煙でからめとって外に出してくれる性質もある。

また、覚醒を手助けする効果もあると思っている。

理由があって、そのものの性質をしっかり把握し、取り入れるのであれば、ある意味、自己コントロール下に置ける。

以前は酒場にもよく足を運んでいた。

仲間や仕事上の付き合いで、親睦を深めるにはとても良いことだと思う。

ただ、酒に飲まれてしまって、見るに堪えない行為も目の当たりにする。

自分もそうなっていたことがあるから、仕方ないこととしていた。

魂を意識して生きるようになってからは、どうしても・・・というとき以外は足を運ばない。

身体は歪み、感覚的なものを捉えることができなくなる。

憂さ晴らし、愚痴、心に溜まった様々な思いが交錯する中にいると、何か物悲しくなってしまう。

それでも、嗜癖することをやめないのは、その人の中で何かの問題を抱えているに他ならない。

わたしの父親は大酒飲みで、結局、すい臓がんを患って他界した。

命を削ってまで嗜癖するその姿は、情けないというか、虚しさしか見えなかった。

何故なら、父親がお酒に依存するのはただ「好き」だからではなかったからだ。

癌が末期に達して、入院し、管に繋がれても、お酒を求めた。

心にしまいこんでいた憂いから逃げたい一心だったと思う。

それはそれで、きっと幸せなんだろう・・・と思っていた。

けど、他界したのちの父親の後悔を聞くと胸が痛かった。

自我と魂の在り方は太極にある

自我の求めることと、魂の求めることが一致するには、自我を魂に寄せていくしかない。

魂の意図を汲み取って、現実に反映させていく生き方をするには、あらゆる誘惑を手放していくことになる。

一見、喜びとしていることが、魂にとってはただの苦痛だったりすることがある。

この辺りは言葉にして書くことがとても難しい。

どっちもありなのに、どっちかを選ぶという、矛盾が生じてしまう。

それでも、選んだ道がその人にとっては、「正しい」選択だからだ。

宇宙の法則にある「自由意志の法則」に則っている。

問題なのは、その時の選択を中毒や依存は誤らせるからだ。

本人的には、中毒や依存に気づいていない場合、当然のごとく中毒や依存で選んでしまう。

魂は、それをやめて他のチャレンジを示唆しているかもしれない。

心の奥では「わかっている」ことなのに、誘惑を断ち切れず、ズルズルと引き込まれてしまう姿。

心のどこかで「ま・・・いいか」という気のゆるみ。

心の奥では「もう・・・やめよう」という。

そんな葛藤を、誰もが経験していないだろうか。

モノがあふれるこの世の中

とても豊かで、どんな選択肢も叶えられるようになったと思う。

なりたい自分になれるチャンスは、いくらでも転がっている。

その反面、モノがない時代に比べて、自己コントロールが強く必要になったともいえる。

あの手、この手でモノを売りたい人たちは、心理的コントロールをしてでも、モノを売る。

それが必要であるかの如く、言葉を並べて、そんなに必要でないものを手にしてしまう時代。

心の奥の魂にとっては、モノは体験するアイテムでしかない。

躍起になって集めたり、自分の一部分を満たすためのものであるなら、魂は必要としない。

何を基準に生きるのか

魂を基準として生きている人はまだまだ少ない。

スピリチュアルという言葉が出来て以来、魂の存在を知る人は増えても、魂を意識して生きる人は少ない。

魂は、愛なる存在で、どんな場合においても、自分を応援してくれる。

魂の声は「感情」として表出してくるのだが、自分自身の感情を正確に知っているだろうか。

魂の声に耳を傾けるとは、自分の感情を意識することでもある。

本当は「寂しい」のに、好きだからとお酒を飲んで陽気にふるまう。

本当は「悲しい」のに、本当は「悔しい」のに、本当は「虚しい」のに・・・。

 

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しっかり自分と向き合って、モノの性質を理解して、嗜癖することなく、必要に応じて使う。

この言葉だけで息苦しいかな。

魂は、常に誘惑にさらされ、意図する在り方を実践できないでいるとしたら、どう考えるだろうか。

そんなことどうでもいい・・・。

そりゃまずい・・・。

分かっちゃいるけど・・・やめられない。

この世での命が終わる瞬間、全てが走馬燈のように走って、経験したことを見直す。

その瞬間をイメージしてみて。

「幸せだった」といえる自分が、今、居るだろうか。

「後悔」してやり直したい・・・と思う自分が居るだろうか。

数々の誘惑に流されていると感じているなら、少し変えてみること。

誘惑自体に気づいていないなら、自分の在り方を見つめ直して、本当は・・・どうしたいのかを考えてみたらいい。

 

心の奥で、魂は声を聞いてもらえる時を待っている。

誘惑にさらされても、どんな選択をしようとも、魂は待っている。

スピリチュアル・マネジメント・カンパニー

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