何もしたくない。楽しくない。やる気がない。冷めている。

そんなあなたには、たぶん「目標」とか「目的」とか「希望」が見つからないだけ。

 

日々満たされていて、満たされていることが当たり前になっていたり。

刺激的なことがなくなって、刺激を与えられることを待っていたり。

トラウマ的な出来事から人間不信だったり。

信じていた人に裏切られて、失望感で一杯だったり。

愛する人を失って、喪失感で一杯だったり。

何をしても思うようにいかないのを誰かの、環境の、社会のせいにしていたり。

思いついては、でもなぁ・・・と行動する前に諦めることを繰り返していたり。

確信が持てないことに対して、猜疑心で一杯だったり。

たった30分のカウンセリングで、生活から行動までがらりと変われるって信じられますか?

ほんの少しだけ目線を変えるだけで、自分が生み出した幻想から抜け出せます。

迷いというのは、迷路の中に入り込んで、出口がないという幻想。

上から見たら、迷路の出口は明らかになるもの。

悩みというのは、考えているうちに選択肢が増えて、最善を求めてしまうこと。

失敗を恐れていては、何もできなくなってしまう。

考えれば考えるほど、肯定に対する否定が生まれる仕組み。

折角の肯定部分が、否定観念によって打ち消されてしまい、諦めていく流れになってしまう。

なので、考える前に、思いついたことを行動に移してしまえばいい。

その結果、どうなったかを検証していくようにする。

自信とは、出来ることではなく、そう出来ると自身を信じることです。

未知に対して心を開き、やればできると信じてあげること。

それが多くなればなるほど、自信がついてくる。

経験がものをいうのです。

だから、成功、失敗、勝ち、負けという言葉に囚われないようにしていくだけ。

自分がしたことに対する結果があるだけです。

時に、栄華に結びつくこともあるでしょう。

時に、苦い水を飲むこともあるでしょう。

それらすべてが、経験から生まれた自分の財産ですから。

感謝しなされ!!

汝、老後を恐れるなかれ。

未来のあなたが笑っているか、それは神ですらも分からない。

それなら今だけでも笑いなさい!

素晴らしい言葉だよね。。。

妻の実家には、とても可愛い座敷童がいる。

十数年前から実家を守ってくれている。

今回の帰省でも、姿を見せてくれ、布団で語ったりしたんだ。

家の中だけでは不憫だと思い、庭に結界を張ってあげたら、お友達が増えたと喜んでくれた。

数か月前に、義父が拾ってきた白い犬の置物。

この中に、何かいる・・・。

前回の帰省時にも気づいてはいたが、あまり気に留めなかった。

今回、霊視してみたら、その犬の中にいたものは、、、犬(笑)

妻の幼少期に飼っていた白い犬。

名前は明かせないが、とてもお利口な犬だったそうだ。

その犬が、犬の霊界の許可を得て、地上で役に立つよう修行しにきたのだが・・・。

こういう場合、誰かに気づいて貰わないと動けないらしい。

座敷童にこの犬のことを説明して、友達になれるか聞いたら、「いいよ」って言ってくれた。

名前を呼んだら、勢いよく出てきた。

早速、座敷童と遊びまわっていた。

犬のお腹で寝たり、背中に乗って走ったり、いつも一緒にいてくれる存在。

座敷童も犬も、とても嬉しそう。

そんな姿を見ていると、こっちも嬉しくなる。

朝起きて、背中に乗ってはしゃぐ座敷童の姿。

また、明るく楽しい気が巡る。

義父も義母も、いつまでも元気でいてほしい。

座敷童と白い犬には、すげー感謝だ。

毎日楽しいよ。

お犬さん来てくれた。

嬉しいよ。

おじさん、

ありがとね。。。

そんな声が聞こえた。

そういえば、来年は戌年。

良い年になりますように。

精霊の事書いたら、忘れちゃならないのは、「河童」です。
河童さん、川の守り神のお使いさんです。

 

きゅうり大好きです。

以前、我が家にお勉強に来ていた親子の話。
当初は、家が鳴るとか、霊が見えるとかいう相談で、家のお祓いした人なんですが、若い御婦人がばっちり憑依される霊媒さんでして・・・。
ある日、旦那さんから電話が鳴り、何事かと言うと、「妻がびしょ濡れで帰って来て、真冬なのに川で泳いできたって言うんです」

なぬ???

で、よくよく話を聞くと、どうやら河童に憑依されてしまったらしいのです。
悪い奴じゃないんで、よくよく話を聞いたらいいというアドバイスをしました。
そしたら、川が汚れていたけど綺麗になってきて嬉しい・・・とか。
真冬なのにきゅうりがあるのが嬉しいとか・・・。
川の役目はこんなんであんなんで・・・と教えてくれたり・・・。
まーいろいろあったようです。

極めつけは、親子揃ってスーパーに買い物に行った時、子供がきゅうりコーナーにへばりつき、きゅうりを両手に持って
むっしゃむむしゃと食べているではありませんか!!
それを咎めようとした霊媒の奥さん。
「こら!!一人で食べないの!!」

え゛ーーーーーーっ!!

そこ、止めるところじゃん・・・。

一番慌てたのは旦那さん。

二人の食べたきゅうり代金を支払ったのは言うまでもないが・・・。

 

まーそんなんで河童さんとのかかわりが出来たわけです。
家が日野に引っ越して、神棚の繋ぎをやっていた時、氏神と繋ぐ神社周りをしていた時のことです。
ある神社に行くと、鳥居のところに違和感を感じ、霊視したら河童が背中を丸めて寂しそうに座っていた。
どうしたの?? と聞くと、

「この辺りにとても綺麗な沢があったのに、道路になってしまった」
「そこは美味しいお魚とか沢山いたのに、人が壊してしまった・・・」と言う。

仕事も無く、誰も気づいてくれず、ずーっとここに座っていたらしい。
名前はあるのか聞くと「治郎吉」って言うんだ・・・っていう。

治郎吉、家に来て働くかい?と声をかけると、とても嬉しそうにしてくれた。
で、この神社の神さんと家の神棚の神線を守ってもらう事になった。
神線とは、繋ぎのエネルギーの紐で、我が家を神社と同じ状態にしておく働きです。

治郎吉は、とても一生懸命働いてくれました。
きゅうりも大好物で、河童学校を卒業していることも教えてくれた。
岐阜の山中にある河童学校は、全国から若い河童が集まって、神様に仕える修行をするところ。

マジか!!

そんなシステムだったんだ・・・。

ときどき人に発見されてしまうのは、河童と人間の波動が近いことがあるらしい。
極めて人に近い存在だと言える。
半身半霊の児童には、みられてしまう事もあるし、
友達になってくれることもあるってさ。
一応、筋道として、河童学校の校長さんに許可をとって、
金色のきゅうりを治郎吉に持たせたら、校長がすごく喜んだっていうので、
事あるごとに金きゅうりを送るようにしている。

治郎吉は、エネルギーラインをしっかり守ってくれ、とても助かった。
八王子に引っ越す時には、管轄外になるのでお別れしたが、
今は、学校に戻っているらしい。

元気かなぁ・・・治郎吉。


河童は実は酒好き!!

母親の実家は秋田にある。

厳密には、養子だったのだが・・・。まぁ、それはさておいて。

母親が亡くなる直前に、秋田に居た祖母が死んだ。

老人のよくかかる肺炎での孤独死。

代々続いた家系もこれで終わり・・・って言う感じで、静かに幕を下ろした感じだった。

その死から数年後、私は秋田を訪れた。

子孫と言い難いけど、縁の在った祖母なので墓参りに行ったのだ。

色々と調べて行くうちに、お祀りしてある稲荷社があることが分かった。

それで、ご挨拶をしに伺ったのが始まり。

秋田から帰り、しばらくたったある日。

妙に体調がすぐれない。

当時、相手にしていた相談者の関わりの在る霊だとばかり思い込んだ。

この相談者の件は、多摩川での護摩焚きで解決したのだが、その後も調子が悪かった。

それで、川石に呪詛をかけ、霊と思っていたモノを呪縛し、川に投げた。

その日から、とんでもなく胃のあたりがむかつき、なんかやばい感じがしたので、知り合いの霊能者によくよく見てもらうと、

「あんた、大変なことしたね。狐さんがすんげー怒ってる!!」

え??
どして???

「狐さんが言うには、川に放り投げられたって」

あっ!!!やった!!

「なんでも秋田から来たって言ってる。霊と間違えるなんて・・・」

まじかぁぁぁぁぁ!!

なんか、とんでもないことをやらかした感、満載状態でパニック。
「とにかくあやまりなさい。」

はい・・・。

私の胃を狐さんが前足で掴んでた。

気持ち悪いわけだ。
床に頭をこすりつけ、ひたすら謝った。

ひたすら。

ほんとひたすら。

水浸しになった狐さんの身体をドライヤーで乾かし(イメージの中で)大好きだと言う、大福も用意し、意識を狐さんに合わせて、ものすごい謝った。

数日して、やっと落ち着いてくださり、狐さんとピントも会うようになった。

祖母の家に1500年も仕えてくれていた狐さんで、祖母があの世で私に託したらしい。

まじで・・・言っといてほしかったわ

  

それからというもの、狐さんの世界を知るためのシゴキが始まった。

階級があって、親分がいて、絶対服従のシステムであること。

田畑に限らず、保食にまつわる一切を担当している事。

縁を結んだ家には、没落または、神上がりの祈願がないと縁が切れない事。

代替わりしても、縁は自動更新であること。

貸したモノは、必ず回収すること。

祟ることはない事。

霊界とは別に世界があること。

霊界と人間界に干渉しないこと。

頼まれた時は、行き来出来る事。

家が無くなり、神上がりの祈願もされないと、野狐になって、彷徨ってしまう事。

それらに手助けもできない事。

他にもいろんな事を学んだ。

稲荷の世界は、筋道にすんげーうるさい。

筋違いな事には、手厳しい罰がある。

そういう世界だからこそ、理解がないモノは触らないし、狐に借金があるものは、没落しようが回収される。

食べモノの恨みは恐ろしいっていうが、食べモノを担当している神の使いの世界も知ってないととんでもない目にあう。

この祖母が祀っていた狐さんのおかげで、稲荷の世界をある程度理解できた。

この狐さんは、私の願いを快く引き受けてくれたし、また、狐さんの願いも快く聞いた。

稲荷の祟りの相談の時も、相当役にたった。

今でも、この狐さんには、心から感謝している。

何度も叩かれ、しごかれたけど、それはそれで楽しい時間だったな。

今は、稲荷の世界で別の仕事をしているようだが、またいつか会えるかもな。

ここで学んだ事が、後の教育界への手引きを稲荷狐さんに任せるという大仕事に繋がっていくのだ。

野に散った野狐さんたちに仕事を作る上でも、稲荷本山の狐の親分さんに話を通し、豊受大神を始めとする保食神さまたちにも話を通して、祈願が成就した。

このお陰で、全国どこに行っても、稲荷狐さんからは手厚くされている。

東北震災時の福島原発の放射能漏れで、多くの稲荷さんが消滅した。

そういう強い気に当たると、滅してしまう。

それを助ける祈願も通ったし、多くの狐さんは京都の本山へと帰還した。

稲荷さんとの関わりと絆は、割に深いと思う。

中には、稲荷さんを嫌う人もいるだろうが、浅知恵で嫌ってはならない。

食べモノを生み出す土壌を管理統括しているのは、ほかでもない稲荷さんたちだからだ。

神の使いで、ひたすらに働いてくれているのだ。

感謝が当たり前でおかしくないと思う。

一週間ほど前、父方の祖母が亡くなった。

享年101。

父方・母方両方の祖父母で健在だったのは、この祖母だけだった。

数年前にみてもらった占い師さんに、「41か42歳あたりで、身内事で変化がありますよ」

と言われていたことを思い出した。

父や母、伯父・叔母たちには大きな衝撃と変化を与えただろうし、もちろん、私にもそれは起きた。

祖母の他界の知らせを受ける朝、体が重く、意識も朦朧として、なかなか自分を保つことができなかった。

「なんで、こんな状態になっているんだろう?」と自分のことながら、訳が分からず困惑していた。

そんなところへ電話が入った。

涙ぐんだ声で父が「おふくろが亡くなった・・・」と。

あまりに突然で、驚いた。

父の動揺は少なからず伝わり、あまり長く話さず、通夜と葬儀の予定を聞き、電話を切った。

体の異変はこれもあったのか。。。

何が起きたのかと目を向けている家人に事の次第を伝えて、ぼぉ~っとしていたら、「お祖母ちゃんに意識を向けて、話してみろ。」と言われ、重い体を横にして、目を閉じ、祖母に意識を向けてみた。

姿は見えないけれど、近くにいる感じがした。

そう感じたら、数年前に帰省した際、膝を怪我して入院していた祖母をお見舞いに行った時のことが脳裏に映し出された。

「あんたは寄り添ってくれる子だった。」

「あんたたちには何もしてやれなくて、ごめんね。」

という言葉が浮かんできた。

一気に涙があふれた。

その言葉で、自分でも気づかないところにあった心の閊えが降りた気がした。

幼少の頃から父方の家族の集まりを見て感じていたこと、その中での祖母の存在、いろんなことが絡んで、自分でも気づかぬうちに心のどこかに閊えができていたらしい。

ひとしきり泣いて、祖母との別れを済ませた。

駆けつけてあげることは出来なかったけど、こうやって感じ、受け取ることができたことで

私なりのお見送りができたように思っている。

気づくと、体の重みはずいぶん楽になっていた。

今も、この日の事を思い出すと涙はあふれそうになるけれど、心の閊えはもうない。

ありがとう、おばあちゃん。

そして、長い人生、お疲れさまでした。

断捨離

要らないものを捨てて、新しいものに入れ替える。

心も同じ。

要らないものは捨てて、新しい風を呼ぶ。

自分を変えたいなら、まずは環境から。

引越しするのもいいし、部屋の要らないものを捨ててスッキリするのもいい。

心がいつもパンパンになっていると、何かをする余裕すらなくなって、気落ちしてしまいます。

[adchord]

まず、段ボール箱を二つ用意します。

いるもの、いらないものを入れるためです。

そして、部屋の中をゆっくり見まわしてみましょう。

部屋のモノ、一つ一つに「ありがとう」って言ってみましょう。

そして、不要となっているものを手に取って、

もう一度「本当に、ありがとう」と言って、不要もの

長い間、あなたの存在をあなたとしてくれた事に感謝しましょう。

『私、新しくなるから、他の誰かを見守ってね』

いらないものがいっぱいになったら、売れるものは売りましょう。

  

分別の目安は、半年間触ってないものは、およそ不要です。

中には、思い出の沢山詰まったものもあるでしょう。

少し考えます。

その思い出、今のあなたに、これからのあなたに必要ですか?

思い出も大切な記憶です。

でも、その思い出にすがっているなら、手放しましょう。

何年も触ってないギターやオーディオ類。


   

洋服関係。

頂いたもの。

ずーっとタンスや押し入れに眠っているもの。

モノは使ってあげないと、モノとしての役目が果たせません。

心の中に在るものも、同じこと。

黙って、押し殺してきた自分の思い。

怖くて吐き出せなかった自分の思い。

大事にすると言っておきながら、ほったらかしの思い。

部屋を片付けていく間に、きっといろんな思い出も顔を出します。

みんな抱きしめて、感謝して、時に謝罪して、解放してあげましょう。

そこにあったものは、

ずーっとあなたを見守って、あなたの存在を明らかにしてくれました。

感謝とともに手放しましょう。

捨てるものには、軽くお塩を振って、浄化してからね。