資格のある藪医者か、資格のない名医か。

毎朝の瞑想タイム時に様々なメッセージや課題を出されてます。

今回は、タイトル通りの「資格のある藪医者か、資格のない名医か」でした。

 

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資格とは何ぞや・・・?

資格

ある行為を行うために必要若しくは相応しいとされる地位や立場をいう。

世間一般には組織内での地位を言う。

さらに仕事上任務に就くために必要な条件として公にみとめられる能力を指す。 wikipediaより。

国家資格から民間資格まで様々な資格があります。

きっと謎かけに違いないと思うメッセージ。

自分の立場で考えてみた。

自分が瀕死の重傷で、救急搬送されたとき、運ばれた病院にいたのが資格のある藪医者だったらどうなんだろうか。

逆に、その場にいた資格のない名医と出会ったらどうなんだろうか。

自分に選択権があったとしたら、どちらを選ぶだろうか。

そんな風に考えてみた。

きっと後者を選ぶに違いない。

逆の立場も考えてみた。

目の前に困っている人がいたとき、資格がないからと手を差し伸べないだろうか。

ただ、助けたいという思いで手を差し伸べるだろうか。

資格や法律が壁となって、手を差し伸べたくても、何もできないこともあるだろう。

 

問題は、「志」の在り方を指しているのか。

それとも「責任の所在」を指しているのか。

「人間の在り方」を指しているのか。

 

資格は基準として存在するのだろう。

「これだけ勉強して、これだけのスキルを身につけています。」と国や企業が認めたこと。

その資格がある、ない、については、その場面次第でどうにでも変わる。

神の認定も資格?

私の経験上、神様の認定というものは存在する。

いわゆる「神託」のことを指す。

神託とは

神の意を伺う事。また、その時伝えられた言葉。

道具により神の意を推し測る占いに近いものと、トランス状態になったシャーマンの口から伝えられるものとに分けられるが、何かを媒介にする点では同じである。 wikipediaより。

言ってしまえば、これも資格なのかもしれない。

神の認定の場は、大きな裁判所みたいなところで、真ん中に大きな神様がいて、円を描くように小さい神様が何百といた。

大きな神様の脇にいる神様が何かを読み上げ、証書として渡される。

もちろん、目には見えない証書だ。巻物のようなときもあるし、卒業証書みたいなときもある。

私も何度か訪れた時がある。

しかし、これは人間社会的には何の効力もないですね。

見えないですし。

まず、観たものにしかわからないから、信じる要素にはならない。

 

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人を見る目を養う

能力やスキルをどのように使おうとしているのか。

その人間の志が何であるのか。

責任をもって、事に従事しているのか。

やはり、自分の目で確かめて、自分が選択するということなのだろう。

自分の世界にとって、その人が必要ならば起用するだろう。

資格があろうがなかろうが。

 

その場、その状況において、必要な存在は常に近くにいる。

また逆に、自分自身が誰かの必要な存在かもしれない。

資格や認定・・・、その時にはどうでもいいことかもしれない。

資格が必要な時?

交通事故に遇ったとき、診断書を貰うには、藪医者でも必要な存在だった。

治療にあたるとき、医療資格がなくとも、親身になってくれるマッサージ師がありがたかった。

また示談交渉の時の知恵は、弁護士資格がなくとも、ネット上の経験者の意見や体験談が役に立った。

実際の交渉は、弁護士に依頼したし。

ちょっと髪の毛を切りたいとき、美容資格のないピーちゃんにバリカンで刈ってもらう。

大きな変化をつけたいときは、美容院に行くし。

適材適所

資格や認定を持っている人、そうでない人。

どんな人でも、あらゆる場面で必ず人の役に立つのです。

志を持ち、人の役に立とうとしている真心ある人間と接していきたいものだ。

全て縁で繋がっていて、自分の在ろうとする意志と意識が縁を結ぶ。

自分の見ている世界を宇宙は確実に映し出してくれる。

資格があっても、藪医者と出会うのは、自分の側面がそれなのだ。

資格がなくとも、名医と出会うのは、自分の側面がそれなのだ。

人のふり見てわがふり正せ

そういうことなのか。。。?

要は、志次第ということ?

なんか・・・違う気がする。

なぞなぞのようなメッセージは、いつも考えさせられる。

必要な時に、必要なことをすればいいと思っている。

資格があろうがなかろうが、その時、その力が必要とされるならば、それでOKなんじゃないか?

しかし、一般社会では、「自称〇〇」はとても聞こえが宜しくない。

その自称〇〇に助けられた人も、心躍った人もいるだろうに。

時々ニュースで見る、資格のない医者、美容師の事件。

資格があったら、何の問題にもならなかったような事件。

我々、スピリチュアルカウンセラーには国家資格がない。

すべて自称スピリチュアルカウンセラーなのだ。

ただ、大勢に認められた人もいれば、なかなか認められない能力者だっている。

 

やっぱ、心根の在り方次第なんだろうな。

堂々としていたほうが、私はいいと思うな。

結論。

資格がある無いにかかわらず、本気で取り組んでいることが大事。

まる!!

スピリチュアル・マネジメント・カンパニー

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