すっかり陽気も上がってきました。
卒業、新入学、新社会人たちが街に溢れ、心なしか活気が出てきたように感じます。
梅の花が散り、桜のつぼみがふっくらとして、今にも花を咲かせようかと、その日を待っている。
この街に来て、7度目の桜。
待ち遠しいです。
とある駅の交差点でふと思ったこと
久しぶりに訪れた街並みを歩き、スクランブル交差点で信号待ちしていたら、心の中から「幸せだ」と湧き上がってくる。
そんな感覚、久しぶりだった。
妻とピーちゃんと、駐車場に向かう道すがらの一コマ。
それは、ただの幸せ・・・ではなく、かなりの幸せ感で心が満ちた瞬間だった。
ある夫婦が必死に店舗を構える準備をしているのを感じたり、別のある夫婦が開店した店を必死に切り盛りしているのを感じたり。
そんな関わりの中に沢山の幸せを感じているんだなぁ・・・と我ながら感心したのです。
他にも、意識の中にいる多くの人たちの生きている像から、いろんな大変なことがありながらも、実に充実して生きているのを感じる。
「生きていることが幸せ」の感覚を心の奥で感じ取っている状態だった。
それって、とんでもなく幸せなことなんだ。
そう改めて感じたのだった。
『なんか、俺たち、とても幸せだな』と思わずつぶやいた。
我が家を楽しく盛り上げてくれる座敷童ちゃんのおみやげを手に、帰路へと向かった。
ただ自然の流れに静かに乗ってみる
最近、アルクトゥルスの友人とのコンタクトを心がけている。
その友人が言うには、「焦り」の浄化を進めよう・・・と言ってきた。
私自身、生き急いでいるかのように、焦って生きてきたのは、心から認める。
若いときから、数々の仕事をバリバリこなして、寝る間も惜しんで働いたものだ。
それがいつしか癖になってしまっている。
最近は、大分落ち着いてきたと自負していたのだが、友人のその一言で意識が変わった。
「焦りの浄化」ってなんだ?
何で焦るのか・・・を見つけないかんのよね。
とにかく、目の前にあることをとっとと片付けたい衝動が強いわけです。
そういう性格だから、あまり人にモノゴトを頼まない。
それで一人で命一杯抱え込んで、片っ端から処理していくことばかりしてきた。
その経緯の中で、横から誰かに頼み事をされるとイライラして、さらに焦る・・・(自分で書いてて恥ずかしいわ)
取り敢えず、記憶に残っている様々な事象を思い出すことにした。
できる自分でいなきゃいけない!!
でた!!
この気持ちは、ある意味、学ぶことのモチベーションになってた。
聞かれたら、すぐ答えられる出来る自分であるためのものだ。
お陰で、ある程度のできる自分は形成してこれたのだが、これが仇になることもあるのです。
何でも自分でしたがる性質
とにかく、やろうとすることは、自分で把握しておきたい性質もある。
興味があれば、尚のこと。
なのだが、理解不能になることもしばしばあったりする。
とくに、畑違いのIT関係の専門用語には、泣かされた~。
こんなことを書いていたら、友人からメッセージが。
『もう学ぶべきは、学んだんだよ。次のステージに立つには、超えなきゃいけない壁があるよね?』
足りない感覚は無くなったし、既に全て揃っているのも実感している。
ブッダの魂との接触も、現在進行形だし、内面の改造は、順調に進んでいる。
苦しかったけど、「待つ」ことが出来るようになった。
さて・・・。
季節は芽吹きの春!!
自分の中に、大きな芽吹きがあるように感じる。
それとともに、いろんな芽吹きが同時に起きるようにも感じる。
それは、とても力強いエネルギーとなってくるのも感じる。
51歳になって、60歳になるまであと9年。
せっかち癖を浄化して、壁を超えるぞ!!
そう心に決めたのでした。