あるとき、ふと立ち止まって、自分探しを始める人がいる。
それはそれで在りだと思う。
私自身、自分探しをした時期があったから、その気持ちはよくわかります。
しかし、いくら探しても、自分は見つかりませんでした。
自分を見つめることなく、自分らしさを見出そうとしても、自分自身は、どんな例を提示されても、決して認めようとしなかったものです。
人によっては、それも、あれも、これも・・・といろんな自分を照らしてワクワクしたかもしれません。
しかし、そのもの自体は、その存在が生み出した結果であります。
その存在と比べてしまったり、いくら真似ても、見ていた存在になかなか為れない。
心の中の葛藤が増して、イライラしてしまい、結局投げ出してしまったりしました。
私には・・・無理。
落胆して、探すのをやめたとき、閃きました。
自分の好きなようにやってみよう。
そう思ったこと、感じたこと、考えたこと。
自分の中から生み出されてきた、あらゆることを行動に移してみたのです。
行動すると、それなりに結果が出る。
思い描いたものではなかったとき、また落胆したり。
上手くいったときは、高揚してドキドキしたものです。
そんな体験を繰り返していくうちに、ふと気づいたことがあります。
本当にやりたいことって何だろう。
自分として体験した結果、嬉しいことはなんだったか。
自分として体験した結果、苦しいことはなんだったか。
など
自分の経験を振り返ることをしました。
立ち止まって、じっくり考え、思いだし、喜びと言えるものを記憶の中から引っ張り出してみました。
紙に書き起こして、その喜びを再び噛みしめてみました。
同じように、苦しかったこと、辛かったことも散々書き出して、噛みしめてみました。
これがあったら、この結果になった・・・。
そこには、二元性の妙ともいうべき「人生落ありゃ、苦もあるさ」がありました。
自分の求めていた自分らしさは、ある意味、今までにも沢山あった事実に気づいたものです。
ならば、探さずしても、ここにあるじゃないか。
私は、心からそう思えたのです。
それからは、自分を探すのではなく、想像したことを創造する意識が芽生えました。
前にも書いた、自分の中から出てきたことを実行して、体験し、結果を受けて修正したり、反省したりしながら、次の行動へと結びつけていくよう意志を持ったのです。
未知なることにチャレンジしてみる勇気を見つけました。
無知なる自分を見つけて、学ぶことを知りました。
闘う自分を見つけて、和したい自分を見つけました。
好きな事を好きだと言える自信が生まれました。
自分という存在がある喜びを噛みしめられました。
自分自身を愛することが出来ました。
心の中に余裕が出来ました。
教える喜びを見つけました。
・・・・
沢山の自分が世界に在ると思えるようになりました。
そして、感謝が心の底から湧き出てきました。
探さなくても、自分はここに居て、何でも創造できるんだ!!
そう思えたのです。