気づいたら筋肉痛・・・。
運動したっけ? 何で筋肉痛? なんてことがある場合があります。
私の経験上、このような場合の「あるある」をいくつか紹介します。
無意識の過緊張
誰かと会ったときに感じる危険信号が過緊張になる場合があります。
特に多いのは、会議や打ち合わせ、相談など人と対面する時です。
気がついたら呼吸をしていない。
肩や背中がこわばっている。
一人になって気が抜けた時、どっと疲れる。
商談などの場合、気が抜けません。
相談のときも、同じです。
相手とのやり取りの中で、緊張する場面が多ければ多いほど、無意識に筋肉は伸縮を繰り返しています。
このような場合は、肩・背中・首筋などに筋肉痛が現れやすくなります。
何も意識していないのに筋肉痛になる
人と対面するようなこともなく、リラックスしていたはずなのに筋肉痛になるときは、ちょっと注意が必要です。
無意識に力が入っていることから、自覚のない過緊張が疑われます。
自分の性格や、性質をご存知ない方は、思い出してください。
感覚的に鋭いと言われたことがある
直観がよく働き、それがよく当たる
ときどき、無意識にボーっとしているときがある
よくわからない危険を感じるときがある
共感する力が強いと自覚している
霊感があると自覚している
霊的な存在が近くに来るだけで、気配を無意識に察知している場合があります。
他人の心の状態に共感して、相手の問題を自分の問題のように感じてしまう。
漠然とした不安や恐れに対して、足がすくんでしまう。
ボーっとしているようで、体のどこかが緊張している。
進みたいけど、進めないといった感覚。
そんなときも、筋肉痛にまで至ることが少なくないです。
寝起きの筋肉痛
睡眠時に観る夢の内容によります。
恐怖が伴う夢や、逃げる、飛ぶ、走るといった動的な夢の内容のときは、身体の反応から筋肉痛に至ることもあります。
夢の内容からメッセージを受け取って、内面との対話をおススメします。
原因となるものは「不安」
心の中に隠れている「不安」材料が、時と場合によって引き出されて過緊張を生み、筋肉痛にまで至るというわけです。
何事もないのに、急に氣が張り詰めるということはありません。
何らかの原因に反応するかのように無意識に氣を使っているわけです。
自分の中にある「恐れ」「不安」をどう扱うかで、緊張の糸は、コントロールできるというものですが・・・。
無意識となると、それも難しいでしょう。
霊障が疑われるもの
どんな人も霊的な存在を無意識に捉えているものです。
霊的なものとは、神仏に限らず、人の念も入ることをお忘れなく。
一番厄介なのは、生きている人の念
生霊と呼ばれるこの念は、呪いと祈りとあります。
思いやっているつもりで、縛り付ける意識となっている念が一番厄介です。
俗にいう「心配している」ことですが、その心配は自分の勝手な思いであることが多いのです。
次に先祖因縁
ネガティブな感情を向けられている。
特に生死に関わる恨みごと、自分がされた仕打ちに対する仕返しなど。
子孫に向けて発せられるこの念波は、代々に渡って繰り広げられる場合が多いようです。
時に、筋肉痛では終わらないケースもあります。
前世の因果関係においての貸し借り
前世のこととなると、自身を俯瞰する眼も必要なので、なかなか見抜けないでしょう。
筋肉痛の出てくる部位や、内容によっては、縁切りの必要性も考えられます。
何回も同じ筋肉痛に悩んでいる人は、是非ご相談ください。
原因を特定して、しかるべき対処をすれば改善します。