人は、不安があればあるほど、自由を失い、硬く凝り固まります。
自分が何に不安を感じているかを理解できずに、漠然と不安になっている場合だってあります。
不安のメカニズムを理解して、心の中を整理して、不安そのものを手放すことは出来るのだろうか?
不安が生まれるメカニズム
出来事が起きて、不安になる。
でも、出来事そのものが不安を生み出しているわけではないのです。
出来事→思考(記憶なども含む)→不安
実は、自分自身の思考と捉え方が要因。
自分の中に不安を生み出す原因があるのです。
不安がなぜあるのか?
不安は不快でなくしたい感情ですが、不要なものではありません。
不安の対極にある感情を引き出すときには、とても重要な役割を果たします。
この世は全て二元性。
陰陽の法則にしばられているこの世の理。
不安の対極にある感情は、「安心」ですね。
ですから、安心でありたいと願うならば、不安を見つめて理解することが大事です。
不安を認める
私は、今、とても不安だ。
それは現実に起きていることなのか。
現実ではなく、その先の可能性に対してのことなのか。
かもしれない・・・という思考パターンが生み出す感情は、あらゆる面で不安を駆り立ててしまいます。
人間関係の中では、とくに多い不安の原因でしょう。
かもしれない・・・
かもしれない・・・は、起こっていない事ですから、可能性の一部でしかありません。
○○だったら、どうしよう。
起こっても、起こしてもいないことを思考でネガティブに変換してしまい、不安に陥ってしまう。
事を始める前に、あれこれ考えてしまうと、ネガティブになる方程式があります。
人は、生み出した選択肢が増えれば増えるほど、どれか一つに絞ることが難しくなるのです。
なぜなら、折角生み出したものを消去しながら選択しなければいけなくなるから。
消去する考えが多ければ多いほど、自分への否定が増え、自信が失われ、ネガティブになってしまうのです。
不安を消し去ることは出来ない
そもそも、不安はあって当然の感情なのですから、消し去るという選択が間違いなのです。
できるだけ具体的に不安をあぶりだし、何にどう不安なのかを見つける。
その不安に隠れた本当の感情を見つけるのです。
不安という大きなヴェールの中には、「恐怖」「怒り」「悲しみ」「孤独」・・・など、様々な感情が隠れています。
その感情を受け入れることで、切り替えられる準備が整います。
時に感情と闘うことになるやもしれません。
時に感情を労わり、慈しむことが必要なこともあります。
参考ブログ
自分の感情を分かっているだろうか。感覚的には分かっていても、それを表現するのにモヤモヤする時ってあると思う。感情は「魂の言語」と神は語った。そこで、自分の感情がどのように働いて、どう自分に反映されているのかを[…]
自分が何を感じ、どう受け取って、どう行動しているのか感情には、外的要因と内的要因とあります。見ている視点が外的要因。外的要因を受け取る際に感じたことが内的要因。それをどうしようとして、行動しているか。[…]
不安に囚われる
不安に囚われてしまう思考癖を見直すのは、自分一人では難しいものです。
それは、客観的視点としての意見が必要になる場合が多いからです。
不安に囚われてしまっている要因をあぶりだし、意識的に改善しようと意志を向けなければ、癖は治せません。
何度も諦めずに取り組んでいく意志が必要になります。
人はあらゆる状況に適応する
人は不安を抱えつつも、生活していく適応能力があります。
しかし、不安がなくなるわけではないのです。
どれだけ不安があっても、目の前にあることに意識を向けて、不安であることすら脇に寄せてしまうものです。
それらは全て無意識の中に放り込まれ、沸々としています。
目の前にある不安をしっかりと見つめる
一つの不安から逃げ出したり、無かったことにしてしまうと、何度も同じことを繰り返し、無意識の中に不安が溜まっていきます。
無意識に溜まった不安が、些細なキッカケから表出することがあります。
突然爆発したかのように不安に襲われる現象として、代表的なものが「パニック症候群」です。
ヒステリーや日頃からのイライラなども、現象としての現れといえます。
不安の爆発は、全てを破壊してしまうほどのパワーを秘めています。
その爆発すら抑え込んでしまうと、心が深く沈んでしまう「鬱」になります。
死の恐怖は死後の世界を忘れているから
輪廻転生という言葉があります。
信じるか信じないかは、個々の考え方ですが、私は死後の世界を相手に仕事をしていますから、信じています。
どんな魂も、死後の世界から転生するとき、祝福されて降臨します。
大勢の仲間に「頑張ってなぁ~!!」という感じで送り出されるものです。
しかし、人の理には、産道を通るときの激痛によって、死後の世界の記憶を忘れるという仕組みがあります。
自我と魂は一体化しながら、相反するという仕組みです。
そういうことを信じられなければ、死の恐怖は自我的な要因から離れることがありません。
死を心で見つめて、死後の世界を思い出そうとすれば、誰でも思い出すことは可能なのです。
無我の境地に立ってみると、死は通過点でしかないと理解できます。
まとめると
誤魔化さずに、一つずつクリアしていくことで、不安は解消されていきます。
解消されたことから順に、「私の不安の原因と要因がわかりました。つぎからは○○に改善した意識でいようと思います。」
そう宇宙に放り出してみてください。
それでも不安はなくならないけど、向き合い方がわかることで「心」は軽くなりますから。