多感覚な子供たちが増えているように感じる。
子供の不思議な発言や原因不明の病気など、子供のことで理解しがたい現象に悩む親からの相談が増えたからだ。
親がスピリットに目覚めようとしない、または、気づかない場合に、子供が鏡となっているパターンが多い。
私が子供だった時代にもあった気はするが・・・。
インディゴチルドレン

インディゴチルドレン(英:Indigo children)はニューエイジの概念であり、特別で変わった特徴を持ち、時には 超自然的な能力を持つとされる子どもたちのことである。
クリスタルチルドレン、スターチルドレンと呼ばれることもある。
彼らの特徴は、テレパシーなどの超常現象 的な能力を持ち、人類の進化における次のステージを示すというものから、同年代の子供たちより共感的でクリエイティブだとするものまで幅広く存在する。
感覚的な面での特徴があって、子供の表現に親が困惑するというケースが多くみられる。
共感とは
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説によると
他人が喜ぶのをみるとともに喜び、他人が悲しむのをみるとともに悲しむというように、他人と同じ感情をもつことをいう。
この場合、ある人(他人)がまずある感情を体験しているということが前提条件で、その感情の表出を観察者(自分)がみて、自分も同じような感情を体験することをいう。
他人がどのような感情を抱いているかを観察しないで、たぶんあの人は悲しんでいるであろうと自分かってに推測して、悲しんでみせるというのは共感とはいえない。
また、他人が悲しみの情動を体験しているのを確かに理解できても、自分は悲しくなれないというのも共感ではない。
ある人とともに悲しむためには、自分もその人と同じような悲しい体験をしていることが必要ともいえる。
親を失った人の悲しみは、自分も親を失って悲しい体験をしたという人によって初めて共感できるというように、ある感情への共感は、その感情についての先行体験が必要条件ということができる。
カウンセリングや心理療法などで、カウンセラーは来談者を共感的に理解しなければならないとされているが、共感はこのような専門領域における対人関係だけではなく、一般の日常生活においても人間関係を円滑にしていくために必要なことである。
これらは実際に相談があったケース
〇幼稚園や小学校において、同じクラスの子供が何かの理由で悲しんだり、苦しんでいるのを察知してしまう。
〇先生や周囲の大人の心の葛藤や裏側の声を感じ取ってしまう。
〇両親の抱えている問題を理解できないながらも、共感してしまい、心の状態をそのまま表現する。
〇他者のヘルプメッセージを受け取り、不調、病などで表現してしまうことも。
〇霊的障害を他者の代わりに請け負ってしまうケースもみられる。
〇街で浮遊霊(同世代の子供の霊)に憑かれてしまい、性格まで変わったようになる。
〇やたら原因不明な病気になる。
何故このようなことになってしまうのか、親が理解できないという理由からの相談が多い。
こういう場合は、親の意識変化を促している
子供の異常を、能力がどういうことなのかを、親の方が理解してあげることが望ましいと思うからだ。
また、このような子供を持つ親には、スピリチュアル能力が備わっていることも多いのだが、自覚されていないことも多い。
言ってしまえば、子供が親の指南役を担っていることもあるのです。
観念上、親は子の面倒を見る・・・ということになっている人がおおよそだろう。
それは生活面のことであって、精神的・スピリット面では、子供の方がはるかに意識が高い場合だってありうるのです。
子供の心を理解しようと努める
「自分の心のあり様をわかっている」と自信をもって言えるだろうか。
自分の心も分からないのに、他人の心と共感して、理解することは難しいだろうと思う。
子供の心を理解するには、親の方の観念崩しや意識改革が必要ではないだろうか。
時代の変革の立役者?

時代の変革が進み、高次へと進化しようとしている今の時代。
次世代の新たな道を創造していくのに必要な存在として、多感覚な子供たちは生まれ出てきたのだろうとも感じる。
霊性・スピリチュアルの誤解も多い中で、多感覚、共時性、超能力などと言った能力は理解されがたいのが現状だと思う。
私自身
今ではスピリットに生きようと務め、霊性、精神性、心理などを理解しつつある。
以前は受け入れるのが難しい面も沢山あったし、葛藤もしました。
元々、オカルト的なものに興味があったので、探求したい欲求には困らなかったのが幸いでした。
でも、知れば知るほど、観念的な思い込みが多くあって、壁を脱するのに苦労したものです。
私たちは、学校教育の中で競争を強いられ、偏差値という基準に縛られて生きてきました。
それだけではない・・・と、心で感じてはいても、大人たちも生きるのに必死で教わる機会が少なかった気がする。
自分自身が親を選び、親との生活の中から自分の在り方を学んでいく流れだったと、今では理解できる。
しかし、おおよその人は、子は親を選べないと思っているだろう。
理不尽なこと、レール、決めつけ、期待などと言った、親の都合に合わせるのが子供の役目なのだろうか。
そんな生き方をしてきて、未だ苦しんでいる大人も少なくないのだ。
そういった人間関係の歪みを調整しようとしているのが、多感覚な子供たちなのではないか。
そう感じています。