衝動は、自分の本質である魂からの合図のときがある。
だけど、その衝動がどうなんだか・・・と疑ってしまうときがあったりする。
いろんな場面で衝動は起きるけど、果たして?
衝動とは
目的を意識せず、ただ何らかの行動をしようとする心の動き。
外から強い力や刺激を受けて心を動かすこと。
動作または行為を行おうとする抑えにくい内部的な欲求。
目的が完遂することによって消滅する。「叫びたい衝動に駆られる」「衝動を抑える」
理由は分からないが、とにかくそれがしたい!!という欲求のことを言う。
衝動についてインドの聖者に聞いたとき、
『とにかくそれが魂の求めることかどうかを見極めるには、3回待ちなさい。』
と言われた。
私の経験上、意識せずとも、その行為をする場合が多かったが、これが功を奏する時もあれば、愕然とする失敗に終わることもあったわけです。
なぜ、そんなことになるのか?
必死で内観したとき、出てきた答えは、「欲求」のシステムにあると睨んだわけです。
表面的自我の欲求には、「快楽」「逃避」「戒め」「警戒」などがある。
人の生態的な部分から、精神的な部分まで幅広いから、内観するのも苦労する。
本能的な欲求もあるし、自制的な欲求もある。
人の心は、色んなものに代替えして整理するように出来ているから、自分のことをよく知らないと、訳が分からない状態になってしまうのです。
衝動が起きた時の自分の感情を観察する
衝動は、とにかく抑えがきかない場合だってあるのです。
そのまま衝動に呑まれてはダメだという時、それを押さえようとする「理性」が働きます。
「怒り」の衝動を抑えきれず、爆発してしまい、後々後悔する羽目になる。
一度その経験をしていると、理性は、似た衝動全てに対して「警戒」するようになるものです。
「悲しみ」の衝動の場合も、「泣く」という行為が、恥ずかしい事と観念的に押さえつけてしまう場合もあります。
泣けない自分は、悲しみを表現することが出来ず、心に鬱積が積もってしまうこともあり得ます。
自己観察をするうえで、「感情」の奥にある「本当の思い」を掴むよう、日頃から訓練が要るものです。
日頃から「感情」を「観察」する意識を持つように努め、感情に隠れている本音を導き出すようにしましょう。
衝動買いも同じ
商品を手にしたとき、「あっ、これ欲しい」とついつい買い物かごに入れてしまうことがある。
その後、買ったはいいものの、そんなに必要ないものだったと、使わずにいることもあったり。
実は、心を満たしたい欲求に駆られているとか。
実は、ストレスを解消したいとか。
必ず、隠れた理由がそこには存在しているものです。
私も、そんな経験はある。
なので、「本当に必要か?」と自身に問うように心がけているのです。
すると、手にした理由が見えてきて、必要ならば買うし、そうでもないな・・・と感じたら買わないようにしている。
何度も手にしては、自身に問い、3回手にしたら本当に必要なモノとして買うとか。
これをしていたら、欲しいものがとにかく減った。
どんな衝動が来ても3回待つ訓練
感情的衝動、欲望的衝動、精神的衝動、肉体的衝動、そして魂的衝動・・・。
衝動かどうかもわからんくらいに、衝動は突然起きるものです。
意識的に衝動を観察すると、3回待つことは意外に出来るんです。
4回目の衝動は、行動に移すようにする。
その行為が起きる理由をしっかり把握することで、納得のいく行動となるわけです。
直観的行動と、衝動的行動は違う?
ここは非常に難しいところです。
自分では「直感」と思っていたことを誰かに聞いてもらうと、『それ衝動だね・・・』と言われちゃったり。
「閃き」か「湧きあがってきた」ものか。
「閃き」は、欲求が絡んでいない、ただ、そう感じたこと。
「衝動」は、なにがしかの欲求が絡んでいて、欲求を満たしたいから行うこと。
ここは、説明に誤解が生じるかもしれんなぁ・・・。
魂の欲求は、「創造」にかかわる新しい経験に繋がります。
しかし、衝動的な出方をする場合もありますから、見極める力を養っていくしかないかな。