この世の財とあの世の徳~価値観のずれ

この世の価値は一体なんだろうか。

あの世の価値は?

歩んできた道を思い返すと、沢山の人に出会い、沢山の霊に出会い、沢山の神と出会ってきた。

人・霊・神、それぞれに個別に価値観があるとはいえ、霊・神については人と価値観が違う。

高級霊ほど偉ぶらず、低級霊ほど偉ぶるし、わがまま。神は働きに準じ、ただあるだけ。

人は・・・さて??

 

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価値観

何に価値があると認めるかに関する考え方。 価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となる ものの見方。 ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断。

weblioより

人の価値観は、人それぞれで違いがあるように思う。

求める在り方、表現の自由によって、さまざまに展開されている。

そもそも自由意志の法則が人にはあるので、どうあってもいいとは思うのだが。

死してあの世に旅立ち、霊界の理に準ずるようになると、人であった時の価値観は通用しない場合もある。

霊界に降り立った時は、生前の立場や財産は関係ない

この世に生きる人は、富や財力に価値を置きがちです。

財を成せば、全てが上手くいくと思っている人は多いですよね。

その財を成すために、自分は何をしてきたのか・・・

あの世では、ただ一人の人として、どう在り、どう生きてきたかに焦点が当たります。

人であったときは、表と裏の顔があったとしましょう。

表の顔は、人の上に立ち、人々を導く立場にいて、誰からも人望が厚く、徳の高い人。

裏の顔は、人の上に立つために人を陥れ、人を導く立場を利用して支配的で、人望が厚いとされた陰には・・・。

その両方がありのまま、自分の行いとして精査される。

社会において偉くなった自分は、当然、極楽に行けると思っていたら、行った先は地獄だった・・・なんてこともあると思います。

そもそも、あの世に極楽も地獄もないのです。

自分の生前の行いが反映された霊界に行くだけの事。

徳のあるなしも瞬時に計算されて、マイナスになれば、霊界でを稼ぐはめになる。

徳とは

以前「徳」について神仏に聞いたことがある。

コトバンクによれば、

① 修養によって得た、自らを高め、他を感化する精神的能力。
② 精神的・道徳的にすぐれた品性・人格。
③ 身に備わっている能力。天性。
④ めぐみ。神仏の慈悲。加護。おかげ。
⑤ 善政。
⑥ 富。財産。裕福。財力。
⑦ 富を得ること。利益。もうけ。得。

文字通りに受け取ってしまうと、大切なことを忘れてしまう気がする。

寝たきりの人を3日間看護、介護して「1徳」積まれる

歴史上の有名な方の霊との対話で出てきた言葉ですが、これが心に響いた。

徳を積むという言葉は知っていたものの、稼ぎ方までは知らなかった。

寝たきりの人を3日間介護するって、物凄く大変じゃないですか?

それでやっと1徳積まれるというのも、かなりビックリしました。

徳を積むのに大切な一つ目の要素は、「人を生かすこと」にあるのかもしれない。

この世に限って言えば、人が人らしく、人として在りのままに在れる状態にする応援をすること・・・になるのか?

あの世はどうなんだ?

そんな問答を何日も神仏と対話したことがある。

五穀豊穣の神様の使いが稲荷なのですが、お稲荷さんのお金(徳)は、人を生かす作物の収穫高になると思いきや、そうではなく、収穫された穀物・作物によって生かされた人からの感謝の数がお金になるそうです。

そんな話を稲荷狐と話していた時、人にも同じことが言えるのでは?と直感したものです。

徳を積むのに大切な二つ目の要素は、「感謝されること」にあるのかもしれない。

感謝は、ありがたいと思うこと。ありがたさを感じて謝意を表すること。

他人から本当の感謝を頂いたとき、凄く嬉しくないだろうか。

その感謝は、一山超えた時にやっと出てくるものではないだろうか。

多くの感謝を集める人は、きっと人のためを一心に思って打ち込んだ結果として在るものではないだろうか。

徳を積むのに大切な三つ目の要素は、「陰徳を積むこと」にあると思う。

 

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陰徳を積む

人に知られないようにひそかにする善行。隠れた、よい行い。コトバンクより

私の経験上、あの世では「陰徳」が大事で、どれだけ自分以外の存在に貢献してきたかによって、霊界の行き先が決まる。

人を生かし、あらゆるものに感謝しながら、人知れず人の世に貢献していくこと。

言葉ではきれいごとに聞こえるかもしれないが、実践するとなると意外にも難しいものです。

誰からの評価も、感謝も受け取ることなく、ただただ、一心にする。

なかなか出来ることではありません。

余程の精神と強い意志がない限り、続くものでもありません。

だからこそ、「陰徳」なのです。

街を掃除する。

花を育てて、景観をよくする。

そっと募金する。

誰かのために祈る。

あしながおじさんになる。

他にも人知れず、人の役に立つことは沢山ありますよね。

陰徳を積む場所は、この世にいくらでもあるものです。

陰徳を積めなかった人は・・・

高い地位にいて、財産も沢山あるのに陰徳を積むことなく他界すると、「こんなはずじゃない!!」という霊界での仕打ちが待っていたりする。

嘘ばかりで口八丁で財を成したとしても、あの世では舌を抜かれるような仕打ちが待っていたりする。

自分の本分を忘れ、ただダラダラと生きていても、それ相応の仕打ちが待っている。

生前、どんな在り方をし、どう生きてきたのか、全て客観的に観て、その反対を経験することになったり。

これが「地獄」なんですね。

自分は正しい、間違っていないのに、こんな仕打ちをされて・・・と、もがき苦しむのです。

これが子孫に影響してくることもしばしば。


どんな人であれ、誠心誠意、精一杯生きて、自分にも人にも精一杯尽くして生きた人は、それ相応の霊界にいくのです。

出来ることなら、子孫の事も考えて、今からでも生き方を見直し、改心するのもありだと思います。

自分の子供は、自分の背中を見て育つと言います。

子を虐待して殺す親もいる時代です。

自分の全てが100として、51以上の貢献度が全ての人にあれば、世の中も平和になっていくだろうね。

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