言っておきます。
やろう!!と決めて、模索し続け、試行錯誤すれば、なんだって出来るのが人間です。
問題は、「やろう!!」と決める瞬間のシャドーの働き。
特に、未知のことに着手する時は、過去の事例が「頭と心」に浮かびます。
この二重に引っ張ってくれるシャドーは、いい意味でいえば危機回避。
さて・・・。
自分の可能性とは何ですか?
過去の経験のおよそが、誰かが敷いてくれたレールの上にある人が多い世の中。
その経験値からすると、可能性も誰かが敷いたレールの上でなければ進めないのです。
自分自身が、何もない荒野に道を創るようなことは、考えもしないような教育がなされている。
本来の可能性は、創造の一瞬のイメージを信じる力で引き寄せていくこと。
私は、そう思って生きています。
だから、やりたくない事はやらないし、やろうと思ったことだけやってきました。
その結果の「今」が連続して起き続けて、時間の経過となっているに過ぎません。
誰かの心を知りたければ、知ろうとすればいいし、何かを得たければ、得ようとして意識を集めるだけなのです。
未知なるものが大好物で、特にスピリットに関するものには、貪欲です。
なので、スピリットに関することについては、膨大な知識を持っています。
知識が知恵の温床
前にも書いたかな。
例えば、パソコンのことを知ろうとしたら、まずパソコンを買います。
次に、使い方を学んでいくのですが、この学ぶ段階で目的が明確になっていなければ、参考書をなぞらえたことしかできません。
もちろん、始めはそれでいいのですが、目的の有無で、その次にある応用に結果が出てきます。
綺麗な画像を作って、デザインし、売る!!
そういう目的ならば、自分で撮るのか、他者の作品を買うのか、ただの写真を使うのか。
選択肢が生まれてきます。
画像の加工ソフトも、イラストレーターを使うのか、GIMPを使うのか、はたまた他の簡単なものを使うのか。
選択肢が生まれます。
そのソフトを使いこなすのに、パソコン教室に通うのか、参考書を買って自分でやってみるか、ネット上にある情報を頼りにとりかかるのか。
選択肢が生まれます。
選択肢には、「やりたいこと」だけではなく、お財布事情も入ってきますよね。
いずれにしても、目標とする結果を導くにも、はじめの一歩がとても大事なのです。
目標に到達するまでの階段をどのように登っていくのか。
着実に一歩ずつ進む人と、出来ない、面倒な事を人に任せる人、到底無理と諦めてしまう人、いろいろいると思います。
結果的に言えば、着実に一歩ずつ進んでいった人が、知識と知恵を獲得して、目標を達成しているものです。
人に任せた人は、その経緯(プロセス)を理解していないので、知識はあれど、知恵がないのです。
霊性を学ぶのも同じこと
霊性は、五感で感じられることを知っていますか?
超能力や霊能力なんてなくても、十分に学んでいけるものです。
霊性のプロセスを実行し、成長していくうちに、サードアイが開き、頭頂が開き、霊能力が身につくこともあります。
私の個人的な話です。
私が霊性の道に入る決心をしたのは、病気を治したいがため。
母の死に矛盾を感じて、どうしてわざわざ死にゆく病を自らが生み出してしまうのか。
ヒーリングに物凄い興味を持ち、手当てだけで病を治すメカニズムを知りたかった。
それまでは、「仏ほっとけ、神飾っとけ」という実家の家訓通りに、信じるどころか、全くの無関心でした。
ヒーラーとの出会いで、道が開けたかのように思ったけど・・・。
そのヒーラーは、すでに他界されていますが、豪快な方でした。
「わしに出来ないことはない」と言ってしまうような方で、チャレンジャーでしたね。
ヒーリングは、エネルギー治療とでもいいましょうか。
ですから、エネルギーについて学びはじめました。
エネルギーといっても、生み出される仕組みは様々ですが、人が人を癒すエネルギーについて学び始めると、意味不明な言葉が・・・。
チャクラを通じて神エネルギーを通す?
丹田で氣を練って、一気に放出する?
波動が荒いと、かえって相手を傷つける?
自分のエネルギーが相手のエネルギーを上回っていないと、相手に飲まれる?
憑依があると、暴れるから縛らないと・・・?
どれも意味不明で言葉を調べることから始まったわけです。
チャクラは、身体のエネルギーラインで、7つあって云々・・・。
氣とエネルギーは同じ意味。神エネルギーは謎。
波動ってなに?
自分のエネルギーを高めるには?
憑依は、霊が宿ることを意味して、なんでそんなことが起きる?
霊体を縛るってどんなこと?
謎だらけで頭がパニックでしたが、心はワクワクしてましたね。
当時、住んでいたアパートの一階にあった古本屋が大活躍でした。
店主に色々と話したら、沢山の本を紹介してくれた。
片っ端から読み漁り、知識を頭に詰め込んでいく作業が始まったのです。
自分にできるか?
そんなこと考えてませんでした。
人がやれるんだったら、自分にだって可能性はあるはずだ。
散々やってみて、結果が生まれなければ、向いてないとしよう・・・とだけ決めた。
インドの聖者がヒーリングしてくれたけど、一生懸命感じたけど、何も分からなかったしなぁ。
ヒーラーにヒーリングされたときは、何やら圧を感じたし。
霊能者に除霊もしてもらったけど、何がどうなっているのかはさっぱりわからんかった。
どうやっているのかを聞いても、誰もメカニズムまでは教えてくれなかった。
そんなこんなで可能性を信じていたら
今は、ヒーリングも除霊も波動を生み出すことも、エネルギーの高め方も分かりました。
ある程度メカニズムもわかりました。
でもまだ分からない事はあります。
それは現在も研究しています。
ヒーリングを学び始めて、病を治していくメカニズムは分かっても、それを他者が信じられなければ、治せない事実。
そこから心理学を研究し始め、スピリチュアルな世界に没頭していったという経緯です。
私はただの無知者でした
いろんな事を知って、理解して、知恵として実行して、経験にし、今があります。
本当に人のこと、自分のこと、何も知らなかった愚か者でした。
魂のこと、幽霊のこと、心理のこと、神のこと・・・。
なんにも知らなかったのです。
こう言ってはなんだけど、母が亡くなって道が開けました。
本気になったのも、これが最初でした。
それまでは、ある意味、超適当な人生を歩んでいました。
そんな自分がこれだけは言える
なりたい自分には、必ずなれるし、可能性を信じてさえいれば、全て手に入る。
今の自分もまだ発展途上ですが、知りたかったヒーリングのメカニズムは理解しました。
学んだからこそ、いろんなことに応用が出来ると知恵を生み出せるようになりました。
険しい山だったけど、いくつも登ってきた自負はあります。
だから、自分を信じて、可能性を追えばいいのさ。。。
志した限り、「できないことはない」そう心から思っています。