私がこの仕事を始めたばかりで、駆け出しだった頃の話です。

ある人から、テンカンで悩んでいる少女がいると聞かされた。

テンカンという病を詳細には知らなかったけれど、聞かされた夜から生霊に悩まされた。

テンカンについての詳しくはこちら

 

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少女が夢枕に現れる

 

写真はイメージです

中学生くらいだろうか。

セミロングヘアーで細身の少女が、私をとても悲しげな表情で見つめていた。

「どうしたの?」と私が聞いても、ただ悲し気な表情しか見せなかった。

翌日、私にその子の話をした紹介者に、容姿などとともに、夢枕に来たと伝えると、紹介者は言った。

「重いテンカンらしいのだけど、病院に連れて行ってもらえてないらしい。」と。

その理由を聞いたら、〇〇と言う有名な宗教に両親が入信していて、その教えに従っているのだという。

「病はその人のカルマから生じるもので、云々・・・」という教えで、神の救いの力を信じて治すという考え方だったらしい。

でも、当の少女は、夢枕に立つほど急を要しているのだと思ったから、紹介者に「彼女に会わせてほしい」と言った。

紹介者が、彼女の家族に話をしてくれるということで、返事を待った。

後日、やはり教義に従って神に祈る・・・という回答が返ってきた。

その夜、また夢枕に少女が現れた。

「私にはどうしようもないことで、こうしている今もいつ息を引き取ることになるか・・・」と。

その後ろには主護霊のおばあさんがいた。

おばあさんは、「天と地のエネルギーがこの娘の中で巡り過ぎていてテンカンの症状になっているが、これはテンカンという病ではない・・・」と。

私は「そんなことを伝えられても、現実的に会うことも許されない状態でいるのに、どうすればいいんだ! 」と返した。

主護霊のおばあさんも、困ったように首を横に振っているだけだった。

遠隔でどうにかなるのかな?

そう思って、遠隔ヒーリングを試してみたけれども、彼女の部屋の中は結界だらけ。

きっと、神にすがる思いで両親が護符などを貼り付けたものだろう。

私は、途方に暮れた。

この出来事を紹介者に伝えたが、紹介者自身も彼女の家族との連絡が取れなくなってしまったそうだ。

生霊だったはずが、数日後・・・

以前とは雰囲気の違うあの少女とおばあさんが夢枕に立った。

少女は、晴れやかな顔をしていたが、ポツリと一言だけ「もう少しだけ、生きたかったなぁ」と。

少女は、亡くなってしまったのだ。

そして、深々とお辞儀をして、あの世へと旅立ったのだ。


私は、なんとも言えない虚しさと、偏った考えをする人に対してのこの上ない憤りを覚えた。

口惜しさと虚しさと憤りとが入り混じった何とも言えない悲しさがこみあげて、号泣した。

どうしようもなかったことなのに、しばらくの間、すごく落ち込んだ。

湧き上がる憤りを何処にぶつけたらいいのかも分からずに、ただ荒れまくった。

なぜ、私はこの体験をしなくてはならなかったのか?

他にやりようがあったのか?

助けられない人が頼ってきただけのことなのか?

宗教は人を救うためにあるのではないか?

神に、主護霊にどうすればよかったのかの回答を求めた。

数日荒れて、落ち着いたころに主護霊が言ったこと

「あの少女は誰にも理解されないまま、あの世に逝かずに済んだ。それも救いなのだ。」

ただ、それだけの事で救われるのか?

「救われるのだ。少女の晴れやかな顔を見たであろう?」

宗教のことも聞いた。

「お主は、前世において、そのことについて散々学んだであろう。思い出すがよい。」

それだけ言われた。

私は、この言葉をずっと忘れない。

見ず知らずの他人でも、自分の事を理解してくれるだけで、存在した証となるということだ。

あれから、もう十数年は経っているが、時々、この体験を思い出す。

この世は理解されないまま死にゆく人も多い。

その個人が存在して、どのような真実を抱えて死んでいったのか。

死して、誰かに理解されたくて、この世に残り続ける霊体もいるのだ。


霊媒体質であることを知らなかったお客さんも多い。

生きている人の心を感じ取ってしまう能力の持ち主だって意外に多いのだ。

知り合いの娘さんも、まだ少女ながら、これに似た体験を日々送っている。

誰とも分からない霊体と日々対峙して、理解しようと必死に向き合っている。

私自身、同じ体験をいくつもしているから、その努力は痛いほど理解できる。

誰かを理解する時、その心の状態によっては、とても痛く辛く切ないものだ。

何人もの霊と対峙して、抱えてきた真実を理解し、浄化するのはとてつもないエネルギーを要する。

しかし、この事実を理解できる人は、そう多くない。

 

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救うということ

命を救うのは勿論、魂を救うことの意味が少しだけ分かった。

母親が亡くなる前に、インドの聖者が「魂は救う」と言った言葉が少しだけ理解できた。

人を救う仕事がしたいという人は、きっとイバラの道を歩むことになるだろう。

心を痛め、傷つき、散々な目にあってもなお、「理解する」ということを諦めてはいけないのだから。

「救う」とはいうけれど、本当の意味での「救い」は、その人自身が掴むことにある。

私たちは、ただ気づくまで寄り添い、理解し、向き合うことしかできない。

今では、多少踏み込んだこともするけれども、心根を変えない限り、気づいて自分と向き合わない限り、変わりはしない。

本気で変わろうとするものは、命がけで本気で向き合う。

人を救うことは、楽にしてあげることだけではない。

共感し、共有し、理解し、認める。

時に、真実を伝えることで身を削る思いもする。

時に、ありのままを見せることが、とても残酷なことだってある。

時に、命がけだ。

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