自分の見ている世界が「自己の内面」
自分の見たいように世界を見ているわけですから、意識・無意識にかかわらず、何を見ているのかを知ることが自身の本心・本音・本当を見つける近道と言えます。
朝起きて何を見て、会社や学校など外出するときに何を見て、社会の中に何を見ているかに意識を集めてみましょう。
世界は鏡ですから、見たくない自分の姿は、無意識に避けているかもしれません。
嫌いな人は、自分の嫌な面を映してくれている。
好きな人は、自分の好きな面。
尊敬する人は自分の最高の面、または、そうなろうとしている面。
どうでもいい人は、どうでもいい面として、あなた自身の内面に存在しています。
自分をどのように見て、意識しているかを見る観察眼
何かに対して、レッテルを貼っているか、可哀そうと思っているか、ただ助けたいと思っているか、手伝ってほしいと思っているかなど、自分の感情や感覚を観察する意識のことを指しています。
人と出会うのが好きな人は、きっと自分のどんな面も大好きです。
人と会うのを避けている人は、きっとあらゆる自分の面を避けています。
もちろん、例外もありますが、どんな気持ちで、それを見ているのかが大事なこととなります。
観察眼で捉えるようになると、疑問が湧く?
なぜ、好きなのか、嫌いなのか。
なぜ気分が悪くなるのか、なぜ楽しくなるのか、なぜ嬉しいのか、なぜ・・・なぜ・・・。
その答えは心の奥に住している本当の自分がしっかりと握っています。
ですから、自然に自問自答するようになっていくものです。
世界に対して反応しているだけだった出来事や出会いが、意味を持ち始め、自分と相手(社会)という距離を縮めていきます。
一定ラインで境界を引くのが人として当たり前のことですが、スピリットには境界がないものです。
己のスピリットの意図や意志に気づくには、「観察」することはとても有用なのです。
常々観察していると、他の面での気づきも増えます。
人のしぐさや心変わりなどという変化はもちろん、風の匂いや草木の香り、数字や写真などからの今の自分に必要なヒント、そういうものに気づけるようになります。
人は気づかないと行動しません。
気づきを得て、そのまま行動するか、自分にとって有効なのかどうかの判断をしたり、考えたりします。
そのまま行動する人は、スピリットに素直であると言えます。
立ち止まって考える人は、自分の都合を優先する意識が強いか、不安が先に立つ場合が多いと言えます。
気づきが増えてくると、氣の流れを掴みやすい
観察し、気づき、それが何であるのかを自問自答しますから、自分の中の答えに結びつく速度が格段にあがります。
流れを読み、伸るか反るかの決定も早くなります。
いい流れと思っていても、心の中では止めようと感じるかもしれません。
良くない流れと思っていても、心の中では進めと感じるかもしれません。
観察眼のまとめ
自分の本心がどの選択をしようとしているか、観察眼を意識するだけで分かってくるものです。
観察するとは、ただ相手を眺めるだけではなく、自分の心の奥が感じていることを意識することです。
自分という像に気づいて、なろうとしている自分を見つけるためにすること。
世界は鏡。
そこにはどんな自分が映っているだろうか。