心の影に存在するもう一人の自分
もう15年以上前の話です。
うちに頻繁に来ていた霊媒の女の子に何物かが乗り移った。
「お前さんは、一体誰だい??」
質問すると、彼女は、
『そうだな・・・言うなればお前の影だ』って言ったのだ。
シャドーの登場
影と言われ、かなーーーり動揺した。
影なる存在・・・そんなモノが語りだすなんて、思いもよらなかった。
自分の影とはいえ、すんげー言い方してくれた。
『影もしらねーのに、魂語るなんてなぁ!! 心の闇の中に押し込められた俺は無視して、いい顔ばかりしやがってなぁ。』
まじでカチーンときた。が、真実だった。
そして、生きがった挙句、観念して、そこに居たみんなの前で土下座していた。
「私は、こんなことも知らずに皆さんに応対してきた。本当にごめんなさい。」
そう言いながら、号泣していた。
それから私は、この自分のシャドーと徹底して向き合ってきた。
表面で表現している裏側の自分
☆カッコいい事言っている時には、カッコ悪くて隠してきた自分。
☆意気揚々としている時は、撃沈して情けない姿の自分。
☆正しいとしている時は、正しくないと判っている自分。
☆人にものを言っている時は、人にものを言われている自分。
☆神を語っている時は、神を信じなかった、知らなかった自分。
☆愛している時は、不安にさいなまれている自分。
☆逆に不安な時は、愛している自分。
他にも細かいところはたーーーーーーーーーーーくさん在った。
こんなに無意識の中に閉じ込めて、抑えつけていた自分が居たんだ・・・と判った時、心の中が温かくなったものだ。
シャドーは魂の一部
私は、『波乱』を抱えている。
シャドーは、この波乱の全てを知っている。
人が恐れるこの波乱は、再生のための破壊だ。
私は、よく暴れる。
今でも、時々、暴れる。
このシャドーが騒ぐ時、必ず、暴れる。
最近は、暴れても、すぐに落ち着けるようになった。
それは、暴れている自分を知ったからだ。
知らずして、今の仕事は出来なかっただろう。
途中で投げ出して、知らんぷりして、傍観して、必死になんてならなかっただろう。
シャドーは抑圧された自我の塊
シャドーは、生まれた時からいるわけではない
生きる上での第一の試練となる一つから二つに分かれる事、つまり母親から生まれ出る体験したのち、シャドーは少しずつ確立されてくる。
その後の成長過程の全てに、表裏があるように、心の中にも表裏が形成されるのだ。
さらに、深く探究したところ、魂のカルマにも深く結びついている。
その経験をするように魂の意志で親を選んでいたりもするから驚いた。
それでカルマなる前世の行為に着目するようになったものだ。
シャドーとの対話
それは、他人の魂が演じてくれることがほとんどだ。
カウンセリングを通じて、数々の自分のシャドーと向き合うことになった。
☆この人、なんか嫌い・・・。と漠然としたものだけど嫌悪感を抱く人。
☆両親や他人の親でも、こんな親になりたくない・・・。と反面教師的な存在。
☆自分の痛みを見せつけてくるような存在。
シャドウを表す人は、心の中で葬ってきた自分という痛みや自己否定の要素を見せてくれる人でもあるんです。
その事実を認めたら、自分も他人のシャドーを演じている事が判る。
シャドー、自分の影の部分
深い闇に閉じ込めていても、出てくるんだ。
それも尊い自分なんだしな。
そこをクリアしてないと、辛い現実があなたを苦しめるだろう。
シャドウを嫌悪感や苦痛の対象にし続けるのか、癒しと成長のチャンスにするかは、あなたしだい。
現実が辛いと思っている人は、シャドーを徹底して見つめるのもいいだろう。
目の前にいる尊い自分の影を徹底的に・・・。