ありふれてきたスピリチュアル系。
世間のスピリチュアルに対する意識は、どんなものなのか。
精神世界とか、霊性とか、神仏に関わることや、心霊現象・・・様々な表現があり、様々な解釈が生まれている。
どこが入り口で、どこが出口なのか。
十人十色の理解と解釈。
私のところに至るクライアントも、いろんな期待と不安をもってやって来られます。
カウンセリングを通じて、スピリチュアルに対する意識が変わった人もいれば、スピリチュアルを感じなかった人もいると思う。
不安解消と整理整頓
大体の悩みは、生活に関する事や、生き方に関する事。
今の問題に悩み、解決策や解消方法を求める方が、おおよそを占める。
心理的要因を生み出している自分の心の問題点は、見方や感じ方、考え方や思い方を変えるだけで解決できる。
目から鱗の観点、視点でのアドバイスを実践して、変わっていった人も大勢いる。
3つのカテゴリとリンクしている思考
①身体的問題
②心理的問題
③霊性なる自己のこと
この3つのカテゴリが、自分の中でどうリンクし、どう働いているかが問題解決のカギとなる。
自分に起きている問題を理解して、解決していく知識と知恵があれば、自分の内の整理整頓はそんなに難しくない。
それとそれがリンクしている感覚を養うことで、現象の本質が分かるものだ。
「今」をどう見て、どう捉えて、どう受け入れ、どう解決して、どう生きていくのか。
そのための観点・視点を意識拡大によって養う意志があるのかどうかが、成長していくカギでもあるのです。
世界は自分を映してくれる
今生きている世界は、自分の創造に準じています。
どう生きたい、どう在りたい。
その世界で起きる全てのことは、自分の心の内の反映です。
起きたことに対して、ただ受け入れるのも大事なことですが、時に疑問が湧いてくるものです。
「何故、そうなる?」
事件、事故、違和感のある出来事、転落、仲間外れ、不和・・・。
なぜ自分にそんなことが起こるのか。
渦中にあれば、パニックにもなるでしょうし、どうしていいか分からないものです。
現象から自己を省みる視点
疑問や違和感は、大切な気づかせであることが多いものです。
まず、意識できている部分と、無意識の部分が同時に働いていることを知ること。
意識できている部分だけで判断してしまうと、無意識の自分が切り捨てられてしまう。
無意識の自分は、『私も自分でしょ?』とばかりに現象の中に投影してくるのです。
この事実を受け入れるだけで、「偏見」のほとんどが解消されます。
宇宙に働く法則を知る
宇宙と聞くと、とても壮大で手に入らないものと考えがちです。
今の自分の意識に宇宙が入ってないだけ。
宇宙は、この世の全てを現してきた結果ですから、星占いなどで星読みが出来る人が、ある程度の人生を当てられるのは当然のこと。
ただ、宇宙は今も、創造し、成長し続けていることを忘れがちです。
つまり、自分の創造力次第では、宇宙も変えていける可能性はあるわけです。
宇宙にも、理にかなった法則があります。
引き寄せの法則
陰陽の法則
波動の法則
全ては一つの法則
原因と結果の法則
愛の法則
など
この法則が、自分にどのように働いて、自分がどのように働かせているか。
「色即是空・空即是色」は、このことを表した言葉です。
自分の頭の中でカテゴライズされた言葉と理解に柔軟性を持たせてあげることも大事な事。
正しさを求めない
何が正しくて、何が間違いなのかには、必ず軸となる思考があります。
法律が正しければ、犯罪は間違い。
自分が正しければ、自分以外は間違い。
「正しさ」を求めてしまうと、間違い探しが始まります。
全て「正しい」としてしまえば、全ての犯罪も正しいことになってしまいます。
そうではなくて、「ただ起こった事実」として受け止め、その事実を自分としてやるのか、やらないのかがあるだけです。
自分の内面にあるこの「正しさ」が自分の可能性をひとつずつ消してかかっているということもあり得ます。可能性が削られれば、で…
幸せであることを認める
人間誰しもが究極に求めることが「幸せ」です。
幸せには、2種類あります。
①相対的な幸せ
②絶対的な幸せ
相対的とは、自分と誰かの間で起きていること。
自分より幸せだと感じる誰かに対して、自分の心はどう働きますか?
比較したり、優劣をつけたり、善悪で判断したり・・・。
満たされた瞬間に、次の幸せを求めるようになってしまい、欲望の虜を演じてしまいがちです。
絶対的とは、自分が幸せであることを認めること。
人それぞれに幸せの形があっていいと感じるし、応援する意識も高まります。
結果的に、絶対的な幸せであれば、永遠に幸せを感じ続けていけるものです。
成長に従ってライフフィールドが変わること
人の成長は、誰かがそう決めてくれる訳ではないです。
社会において、出世が成長としていることもあるでしょう。
ですが、人の上に立っているからと言って、人間が出来ているわけではないのです。
前の項目に書いたことを意識して生きていると、自然に環境が変わり、出会いも変わってきます。
今までの環境から流れるように、違う環境になっていくのです。
流れの中には、今まで付き合ってきた人々との別れもあるものです。
結婚と離婚。
恋人との別れ。
生き方の相違。
価値観の相違。など
理想は相互理解なのでしょうが、成長している側と、現状維持側が争ってしまえば、意見は平行線です。
どんな人にも最終的には「別れの時」が来るのですが、そこまでを相互理解に努めるか否かで、「別れ」の意味は異なります。
全ての縁に宇宙の法則が関わっています
偶然出会うことはなく、何らかの理由があって出会っていることを見つけること。
先祖同士の因縁を解消するための出会い
魂同士の因縁を解消するための出会い
未来創造をするための同士としての出会い
子孫を創るだけの出会い
など
自分の存在意義はその都度変化するし、役目や役割も変化していくものです。
今起きていること全ては、自分の成長のために起きていることを受け入れることです。
自分では分らない事は、誰か分かる人に聞くことも大事な事。
自己解決して、大切なことを見逃していることも実に多いからです。
スピリチュアルに入り口も出口もない
私が思うに、スピリチュアルな在り方には、気づきと理解と行動があるだけです。
人は自然に、その人の成長プロセスの中で、それをこなしています。
スピリチュアルと現実とを分けてしまう考え方に問題があると思います。
そもそも、人の本質は、霊性にあります。
ただそれを受け入れれば、スピリチュアルはとても身近で当たり前に起きていることとして見れます。
心の中が混沌としていれば、現実も混沌とするだけのこと。
スピリチュアルは、自分の可能性を広げるし、未知を開拓する精神です。
そして何より、自分らしく在れる。
そう思います。
霊が見えなくても、透視が出来なくても、憑依がなくても。
それらは、その役割を担っている人がすることです。
そういう人たちは、魂の目的の一環として、その能力を発揮しているに過ぎないのです。
自分を学ぶ意志をもって、自分の可能性を追い求め、自分らしく在る。
これが私の望むスピリチュアル像です。