出会いをはじめ、住む場所、訪れる場所、この世は何から何までご縁で繋がっている。
その人と、その場所で、巻き起こる様々な出来事には、全て意味があると思っています。
縁にも色々ありますが、人知を超えたなにがしかが意図的に結んだものと思えるのです。
縁結び
昨今、テレビ番組などで縁結びの神社やお寺が紹介されたりしています。
以前にも出会いのことを書きましたが、良縁・悪縁にするのは自分自身。
縁のことを深く理解したら、トラブルとなってしまった問題のおよそが解消されます。
神社やお寺で度々祈願されたなら、良い悪い、叶った叶わなかったの判断無く、お礼参りはして欲しいものです。
神様、仏様は、人生において無駄な縁は一切結ばないからです。
全てが必然と受け取って、真摯に向き合うことが、生きること、成長することに結びついてくるものです。
縁が終われば縁切り
忘れてはならないのは、縁切りの祈願のこと。
前世や先祖の因果関係のある人だけでなく、現世でも縁切りは必要な場合があります。
折角の縁を悪縁にしてしまって、やり直しがきかないものは、縁を切ることをおススメします。
なぜなら、引きずって腐れ縁になって、人生を台無しにしてしまうことだってあるからです。
縁を切らずにいれば、縁を結んだ互いの魂たちは、互いが何かに気づくまで、その縁を続けようとします。
それはそれで、ワークと言えばワークなのですが・・・。
金の切れ目は縁の切れ目・・・ということわざもあります。
魂同士が分かり合っても、自我の壁が厚く、乗り越えられないことが分かった時点で、縁切りする。
自分は理解したけれど、相手が理解していない場合でも、同じです。
泥沼になる前に、
『この縁を結んでいただいてありがとうございました。分かり合えないのは残念ですが、ここで魂のご縁を切らせていただきます。』
そうやって縁切りするのも、実は大事なことだと思っています。
縁切りとは、互いに何かを学ぶために結ばれた縁に対して「この学びをここで終えます」とすることです。
その縁での学びを得られたならば、縁切りをして、学びに区切りをつけましょう。
土地や家もご縁の為したこと
土地を購入し、家を建てました。
賃貸で借り、マンションに入居しました。
土地の管轄である氏神様に、住まうことを報告して、見守っていただくようお願いします。
なにがしかの理由でその土地を離れることになったときも、氏神様にご挨拶を忘れてはいけません。
旅行にしろ、出張にしろ、その土地、その場所、そこの人々とのご縁を全て理解できる由もありません。
しかし、全ては経験させていただける有り難いことだと、ご縁に感謝する心が大切だと言えます。
全てのご縁に感謝する
この世の全ては、ご縁で成り立っています。
良いも悪いも、全ては神のみぞ知る不思議な力で結ばれているものです。
お願いして結ばれたなら、感謝を心に持ちましょう。
お願いして切れたなら、感謝を心に持ちましょう。
自分の為した道を決して否定することなく、ただあるがまま見てみましょう。
そこには、未熟だった自分もいるだろうし、苦渋の決断をした自分もいるはず。
歓喜に溢れた瞬間も、辛苦に涙した瞬間も、自分の尊い体験として認めましょう。
そして、また新たな縁が結ばれる歓びを噛みしめましょう。
そうすれば、きっと心は満たされるはずです。