猛暑を超えた酷暑の夏。
ある意味、陽気の極みとも言える。
先日、上半期大祓のときに、四神の白虎が来た。
『この世界は狭すぎる』と世界を広げるように手助けに来たという。
白虎は、世界の壁となるものを取り払い、より大きな世界へと誘うための破壊をするという。
陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる
太極を中心として、陰陽の二元性には、極まると振り子のように反転していく性質がある。
人に置き換えるとどんな現象になるのか。
陽気が暴走すれば、支配が強くなり、暴言、暴力・追及などが増し、脅迫者・尋問者意識が強くなる。
陰気が暴走すれば、従属になり、諦め、卑下、されるがまま、被害者・傍観者意識が強くなる。
この世には、二元しかないので、必ずどちらかに傾倒していくものです。
歴史の陰陽
これを時代に当てはめていけば、歴史の表裏も見えてくるものです。
どこぞの国が、どこぞの国の支配下に置かれ続ければ、その国の民にも影響していく。
その支配された国の中でも、陰陽はあり、支配されている国の長が民を支配していく。
やがて、民の不満が暴走し、革命や反政府運動が活発化して、対立し、やがて立場が逆転する。
国同士も対立しはじめ、戦争となり、立場が逆転したりする。
そうして、人々は、支配と従属の関係を止めることなく、未だにこの二元性の仕組みは無くならないのです。
日本の陰陽
一見平和に見える日本にも、この仕組みは働いています。
統治と秩序と支配は、紙一重。
流行や情報などは、もはや正確なものが皆無かもしれない。
火種があって、火が点いて、流行は生まれる。
その情報も、表現の仕方次第では、いくらでもコントロールできる。
それがないと不安になるまで放置して、不安を煽って大きな商売や利権となる。
それらすべて、誰かが立案・企画して行っている事実があります。
社会はごく一握りの人々によって操作され、現象となっているものを現実と呼ぶ。
このような事にも神々は働くのです。
しかし、その時代に終わりの警鐘は鳴っています。
大宇宙の大きな流れには、周期的な要素があって、物質社会から精神社会へと変貌しつつあります。
物質社会が生んだ、あらゆる産物は精神性を帯び始め、やがて国民全体に届くことでしょう。
物質そのものは無くなりませんが、本質を観るようになった人々に、選択権があるものです。
時代の極みに立って、何を思いますか?
時代の極みを感じませんか?
精神性の豊かさとは、何だろうと考えることはありませんか?
戦争や混乱を通じて、苦い思いをしてきた方々の残留思念も、どんどん浄化されています。
私自身、その活動に参加しています。
全国各地を走り回り、土地や空間の浄化をしてまいりました。
それは、これからも続くことでしょう。
ものごとの大きな流れは、誰にも止めることは出来ません。
個々の陰陽
個々の立場にしたら、心の障壁を取り除き、本当の自分に気づいていくようになります。
身体・心・魂を貫く柱のようなエネルギーは、個々の中に確実に存在し、育っています。
愛たる本質を求め、愛を知り、愛に生きる人々が増えていくでしょう。
そのためには、古い考え、観念を捨て去り、新たな考え、観念を生み出していくことになります。
この劇的な変化に人々は、最初は物凄く戸惑うことでしょう。
しかし、どんな状況にあっても、順応していけることを魂は知っています。
個々の魂が目覚め、新しい時代の幕を開いていくことでしょう。
男性性と女性性の本来の働き
男性性は、労働して賃金を稼ぎ、家族を養うためにありません。
女性性は、家庭で子を産み、母親となるためにありません。
文化的背景の中で生まれてきた役割とは、本質が違います。
男性性は、自ら流れを生む、推進する力、前に向く、勇気、情熱、父性などを表し、その働きは縦方向のもので陽です。
女性性は、抵抗しない、育む力、広がり、愛情、受容、母性などを表し、その働きは横方向のもので陰です。
この両極的なエネルギーは、どんな人にも内在するエネルギーです。
女性性で受け取ったエネルギーを男性性で与えていく流れが、至極当たり前のことなのです。
この両極のバランスが整ったとき、人の生み出すエネルギーは膨大なものになっていきます。
人が内なる融合を果たした時、男女の性別を超えた存在となりえるのです。
自我と魂の理も、二極の極みに達すると、自我も魂もなくなって、たった一つの真理だけが自己の内に目覚めていくのです。
霊性や精神性が劇的にパワーアップしていき、この極みを乗り越えるべく働くことでしょう。
中庸を理解し、理性と本能を見極める。
振り子は止まることはないでしょうが、振り幅を狭めていくことはできるでしょう。