目線と視野と未来の自分

世の中は”魂”の共有場

「生きる」という粘土があって、どうカタチづくるか”ろくろ”を回している自分が居る。

目線の先に、出来上がりのビジョンがハッキリと見えているものがあって、カタチを整えていく。

ある程度の形が出来上がり、素焼きにして、ヒビ割れがないか、歪みがないかを確認したら、仕上げに入る。

色合いや風合いをイメージしながら、釉薬を塗り、本焼きに入る。

数千℃の炎の中で、真っ赤に溶け合い、様々な化学反応をしながら、カタチは出来上がっていく。

数日後、窯から取り出したモノが自分の未来像だ。

とにかく出来上がった作品を出品する

仕上がった自分の未来像を見た時に納得するか否かは別として、世の中に出品したとき、評価が決まる。

見向きもされないか、美術品として評価されるか、日常食器として評価されるかは、世の中が決めることだ。

自分として、美術品をイメージしていたのに、日常食器の評価が出たら、納得できないかもしれない。

しかし、その評価自体を受け入れ、日常食器として在りながら、美術品の評価を狙いに、次なるチャレンジをする。

もしかしたら、誰にも見向きもされないモノになっているかもしれない。

その背景では、日常の在り方、美術の在り方が、文化として時代と共に変遷している。

狙いを定めるには、市場調査も必要だろうし、文化的背景を目線に入れておく必要がある。

目的がどれであれ、何を見て、何を表現していくかがカギなのだ。

(思ったこと”想像したこと”をやってみる)

 

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目線の向こうに何が見える?

 

目線の先をイメージしたとき、自分の視野がわかる。

このブログにしても、同じことだ。

目線の先には、伝えたい誰かがいて、しっかり伝わるかどうかの結果は、出品してみなければわからない。

目的の誰かに伝わらなくて、別の人が評価するかもしれない。

目標を目線に入れ、見定め、心の中に飛び込むであろう言葉を紡ぎ、粘土をこねて、カタチにして、出品する。

その作品を評価する人が、「私」という存在に気づいて、興味を持つだろう。

自分の目線が、相手の目線になるわけです。

どう見てくるかは、相手次第。

もしかしたら、狙っていたモノではないかもしれない。

もしかしたら、ドンピシャにハマっているかもしれない。

もしかしたら、既読スルーかもしれない。

どうあれ、思いを込めて世の中に出した限りにおいては、評価は委ねるしかない。

(やったことを手放してみる)

自分の未来像

 

自分の描くビジョンがハッキリしていればいるほど、目的の作品はできるだろう。

ただ、それが評価されるかどうかは分からないものだから、とにかく出してみるしかないのだ。

その作品には、たくさんの自分の思いが詰まっているのだから、自分らしいモノになっていることだろう。

自分の作品そのものが、自分なのだ。

世の中がどう思おうが、自分自身なのだ。

だから、堂々と作品を出品すればいいのだ。

(自分らしさを自分で肯定する)

意見を受け止める

賛否両論、肯定否定、いろんな意見が飛び交ってくれたら、しめたものだ。

作品としてはいいものなんだけど、何かが足りない・・・とか。

ニーズに合ってないとか。

ターゲットが間違っているとか。

素晴らしい作品だ、誰かに紹介しようとか。

他者の言うことは、他者の勝手だから、何を言ってくれても構わない。

ただ、どんな意見であれ、言ってもらえることの方が、ありがたい話だ。

それだけ注目されたという結果だからだ。

次にチャレンジする時に、大いに役に立つ。

(見られている自分の像を知る)

失敗はないのだ

再チャレンジの機会はいくらでも生み出せる。

年が幾つであれ、経験が多かろうが少なかろうが、機会は自分で創り上げるものだからだ。

評価されなければ失敗?

そうではない。

ただ、評価されなかっただけだ。

自分として思いを込めて創り出した作品は、作品として出来たものだから、失敗ではない。

より視野を広げて、見つめる先を見直せばいいのだ。

無意識に隠れていた自分が作品に練り込まれ、不快感を表現していたかもしれない。

逆に、無意識の自分が素晴らしい自分であるかもしれない。

(自分の見ている世界と、自分が見られている世界のギャップを知る)

 

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納得できる作品が出来たら、この世の修行は終わりかもしれない。

ある意味、これでいい・・・と自分で決めてしまったものになってしまう。

モノづくりの職人さんたちは、生涯通して、納得のいくものは数点しか出来ないという。

だから、再び作り始める。

世の意見、文化的背景、便利、重宝、美術・・・いろんなことを取り入れてみて、納得を目指している。

(再設定して、再チャレンジする)

この一連の作業自体が”魂”の修行

今回は「陶器」に例えてみましたが、自分を創造するのは、自分にしかできないこと。

見ている世界とみられている世界、どちらも共有する場が世の中です。

世の中には、自分の鏡がわんさかあります。

自分を知ることは、どれだけの鏡に自分を映したかによるのかもしれません。

意識している部分、無意識の部分もあります。

無意識の領域を開拓して、視野を広げていくことも可能です。

視野が広がれば、鏡は必然的に増えて、観られている自分をより自覚出来るでしょう。

自分の未来像・・・どう描いていきましょう?

スピリチュアル・マネジメント・カンパニー

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