一番の安心は恐れがないこと

ある日、妻が知り合いに言われた一言。

「あなたは、なぜそんなに豊かに暮らしているの?」

妻は思った。

『あなたの方が、よっぽど豊かじゃない…。私、財布に3000円しか入ってないけど…。』

豊かさの影には、安心があるか、不安があるか。

妻は、3000円あれば何でもできる…と何の恐れも持ち合わせていなかった。

 

 

安心を求めて壁を造る

私という範囲はどこまでなんだろうか?

目に見えている範囲?

住んでいる場所を含む行動できる範囲?

自分のテリトリーを決めているのは、他でもない自分。

テリトリーは、自分が安心して生きられる場所…という意味です。

その安心は、どんな安心なのか?

外敵がなく、思ったままのことが思った通りに出来て、何の障害もなく、生きていられるということなのか?

テリトリーには自分の理想像が組み込まれている場合が多い。

理想とする友達の姿。

夫や妻の在り方。

子供の存在。

自分のテリトリー内に入ってくるものは、自分の理想像を満たしているかどうかという基準があったりする。

満たしていないと、敵とみなし、排除する。

または、満たしてくれるように仕向けたり、コントロールしてしまう。

なぜなら、不安要素となってしまい、自分自身が傷つく恐れがあるからだ。

それらが出来ないと、途端に体調不良になり、精神は被害者を演じてしまう傾向にあります。

幼少期に「本当は○○したい…けど、ママが、パパが○○って言うから出来ない」と、一番近くの大人の都合に合わせるしかなかったことが原因の場合もある。

つまり、コントロールドラマを自分中心に回したいけれど、自分より強い存在がいるとコントロール不能になり、その反動が体調にまで出てきてしまうのです。

テリトリー制を心に導入してしまうと、どうなるか?

これは動物的本能とでも言いましょうか。

犬や猫にも行動するテリトリーが必ずあって、マーキングすることはご存知ですよね?

自分のテリトリー内は、自分の好きなもので囲います。

自分以外の誰かが、モノを使ったり、動かしたりするだけで、心はざわつき、イライラの原因となったりします。

このテリトリー制は、自分らしく生きたいが故の自我的防御策なのです。

部屋の中だけならまだしも、学校や会社にまでテリトリーを広げてしまう人も少なくないです。

『自分が一番過ごしやすく、傷つかない方法』

それが、テリトリー制なのです。

ところが

テリトリーの奪い合いが起きると、心よりも精神が参ってしまう。

自分を守るという意識状態にありながら、自分自身にダメだししたり、卑下したりの繰り返しの攻防が続くからです。

心の中では、自我と魂が葛藤。

意識の中では、上位自我と低位自我の攻防。

それらをつなぐ精神が、あっちこっちと引っ張りだこで疲弊。

見ている世界で、気に入らない事の連続。

許す・許さないの攻防と、受容する・排除するの攻防。

インナーチャイルドは、わがままに叫び、それに呼応する子供たちの叫び声にイライラ。

理想とする亭主はいずこに?

母親からのダメだしと、母親自身の自虐行為を心で感じ・・・。

街行く人の霊体に触れたら、テリトリー侵害を犯している自分に嫌気がさし。

逆に侵害されないよう氣を張って、監視体制を崩さない。

…そりゃ…

疲れるわ!!

テリトリーそのものが壁

自分の範囲を自分で決めるのはいいと思う。

だが、それが壁になって、成長出来なくて苦しい思いをするくらいなら、ぶち壊せ!!

でも、どうしても壊せない自分が居るんです。

壊す!!と決断した瞬間から、『恐怖』の幻影に飲み込まれ始めます。

壊した後に起きてくるであろう未知の領域に対する様々な不安…そして、もはや恐怖。

という幻想が駆け巡るわけです。

起きてもいない事を、さも起きたかのように頭の中で想像してしまうのです。

自分を守ることで精一杯な精神は、幻想なのか、本当なのか、区別がつかなくなり、脳もそれに反応します。

逃げなくちゃ、隠れなくちゃ、守ってくれる人を探さなくちゃ…。

そうこうしているうちに、壁は内側から二重三重にも強化されていくのです。

しかし!!

その壁自体も幻影なのです。

本当の自分を表現することも、テリトリーがあるだけで狭い世界になってしまいます。

恐れや不安と本気で向き合う精神力

見出しには凄い事として書きましたが、簡単に言うと『勇気』を出すだけです。

ただ黙っていても、恐怖の方から去ってはくれません。

恐怖としているのは自分自身。

『何がどう怖いのか』を見つめて、恐怖が消えるまで見つめ続けなくてはなりません。

そのためには、その手に握っている『盾』を手放さなくてはなりません。

自分を守るために持ち続けてきた『盾』は、それを見ないようにしてきただけのものです。

堂々と胸を張って、恐怖であろうことをしっかり見つめる覚悟を盾の代わりに手に持つのです。

そのことで傷つくことが怖いならば、傷つく覚悟を持たねばなりません。

そして、傷ついてみましょう。

傷の具合は、結果が物語ります。


私の経験上、その傷は塩を塗れば治る程度のものから、死を覚悟するに至るものまでありました。

ハッキリ言って、痛いし、苦しいです。

でもね。

殴られたことのない人が、殴られたとき、それはそれはショックでしょう。

しかし、一度殴られなければ、自分が殴ったときの痛みを知ることもできません。

誰かが傷ついているのを慰めるときにも、痛みを知らねば慰められません。

痛みを恐れていては、誰も癒すことなど出来ないのです。

一番の安心は恐怖を乗り越えた先にある

魂のテリトリーは、宇宙そのものです。

無限に広いのです。

自分がそうなろうと思うことの全てを魂はしっかりと握っています。

幻影なる恐怖や不安も、実は『愛』の中にあるものです。

本当の安心は、宇宙の中に溶け込んで、ただあるがままに漂ったときに訪れます。

そこに飛び込む勇気さえあれば、誰にでも味わえる至福です。

誰もが皆、そこから生まれ出てきたのですから。

既に知っているのです。

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