人の自我にある欲求の中に、承認欲求というものがある。
「存在していいよ」と自分以外の誰かに認めてほしい欲求だ。
その多くは、誰かのために役に立っているとか、存在価値を実感したいために起こる。
それには様々な原因が考えられるのだが、その真相は思ったより単純なのかもしれない。
承認欲求とは?
大きく二つに分類されている。
①他者承認・・・自分以外の他者に理解や同意を求めるもの。
②自己承認・・・自己理想像の追及、今の自分に満足しているかどうか。
また欲求の度合いは、上位、中位、低位と3段階あるが、以下に簡単にまとめてみた。
上位・・・他者よりも優れているとしたい
中位・・・他者と対等でいたい
低位・・・他者に蔑まれるとしたい
心理学見地のマズロー欲求の5段階
生理的欲求・・・睡眠、食、排泄欲
安全の欲求・・・安心、安全な暮らしへの欲求
所属と愛の欲求・・・友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求
承認の欲求・・・他者から尊敬されたい、認められたいと願う欲求
自己実現の欲求・・・自分の世界観・人生観に基づいて、「あるべき自分」になりたいと願う欲求
学問的理屈では、このように説明されていますが・・・。
問題の原因となる要素は、実に多岐にわたると考えられます。
承認欲求は、だれにでもある当然の欲求
特に20~30代には、承認欲求は高まる傾向にあると言います。
また承認欲求があることでモチベーションに繋がる説もありますから、上手に満たしてあげるといいとされています。
ですが、強すぎる承認欲求があると、精神的な問題が生じてくる場合もあり、生きてきた背景によっては、心因性の問題として解決されないまま、悩み続ける種にもなりえます。
承認欲求の各段階に当てはめて
生まれてきたときは、どんな人も純粋で無垢な状態にあります。
3歳くらいで自我が芽生え、自分と他者の区別がつくようになりますが、人によっては境界線があやふやだったりします。
中には、HSPや、魂の記憶を維持してしまうケースもあります。
そんな心理的、スピリチュアル的知識が親にあればいいのですが、専門的な勉強でもしない限り、理解不能でしょう。
自我は、自己保存の法則に従い、自分という存在を明らかにしようとする働きをもちます。
自我は、境界線を自らの意志で創造して、自分を守り、表現します。
30代男性の例
幼児期は、両親がいました。幼少期になり、理由あって両親が離婚。
それからは、自己承認が強く育つことに。
青年期ごろには、独立心が芽生えて、「一人で暮らすこと」「他者の迷惑にならないこと」をコアテーマにしました。
学生を卒業し、社会人になって、人間関係に揉まれることに。
自分の理想とする像に近づけないという悲観的な思いが、徐々に心を支配していきます。
自分で自分を認められずに、自殺未遂も何度か経験しました。
理想の自分になれないなら、消滅してしまった方がましだ・・・という考えに陥ったのです。
これらの経験の背後にあるのは、両親や家族との関係性を保てなかったことが一因としてあり、心に大きな蓋を作って、過去の記憶をあいまいにしてしまった経緯があります。
しかし、深層心理に隠れるインナーチャイルドの叫びは強く、大人になっても衝動として度々表面化していたのです。
愛情の欠如、誤解から始まった両親の像、押し付けられた背負うべきものではない責任と自己責任が曖昧になった経緯。
両親に対する本音と建前などといった、数々の矛盾が無意識下で渦を巻いています。
40代女性の例
幼児期に両親が離婚。
母子生活が当たり前だったのだが、小学生ごろに父の存在を知り、心の中で父を求めてきました。
逢ったことも触れたこともない父の像を自分の理想の父像として想像していったのです。
しかし、理想はあくまで理想。
心の中のシュミレーションは大人になってからも続き、その具現化の対象は恋人になっていったのです。
自分の理想とした父に、そうしてほしかった自分の思いをぶつけ、受け入れてもらえるのを求める生き方。
恋人とは些細な事で別れ、また出会い・・・を繰り返すことに。
しかし、現実の中に答えはなかったのです。
それは、自分自身が体験していないことへの憧れと、満たし方の分からない心の問題としてあるからです。
内面の男性性を恋人に投影しては、承認してもらいたいという欲求は、満たされることがなかったのです。
このように、心の中に隠していたり、蓋をしてしまったことを理解できないまま、大人になってしまうと、自分で自分の心を複雑化させてしまいます。
自分の感情の元はどこ?
人間関係は、両親との関係から始まります。
赤ん坊は、言葉も態度も行動も、すべて不自由なままでいます。
しかし、心はとても純粋で、感受性に富んでいます。
表現する方法は、泣くこと、笑うことでしょう。
泣くことは、悲しい、辛い、嫌だ、お腹空いた、おむつが気持ち悪い・・・。
笑うことは、好き、愛してる、面白い、楽しい、元気だして、大丈夫・・・。
大人と同じです。
大人ならば、言葉や態度、行動からある程度のことは察知できるでしょうが、赤ん坊相手では、感覚的なことで察知しなければなりません。
自我の芽生える前の記憶
赤ん坊から自我の芽生えがあるまでを例えたもので、「三つ子の魂百まで」という言葉があります。
3才児くらいまでに体験、経験してきたことは、それ以降の人生の基盤となります。
自我の芽生えまでに、両親や家族から受けた影響が、大人になってからもずっと心の中にあるということです。
命一杯愛されて、愛情たっぷりに育った子は、大人になっても、愛されている自覚があるものです。
逆に、愛情が薄かったり、親の都合で親の感情をぶつけられたりすると、閉鎖的な性格になったりします。
自我が芽生える前に、精神的な壁が形成されてしまうケースは、稀ではありません。
どんな人にも、少なからずあるものなのですが・・・。
感情が何だか分からないうちに、心の壁を作ってしまうと、大人になっても、自分の感情が分からなくなってしまうものなのです。
参考ブログ
他者の言葉より自分の感覚を信じること
幼少期の理解が伴わない言葉のやりとりは、誤解が生じていることが大いにあります。
大人の言葉通りに受け取ってしまい、「自分はそうなんだ・・・」と決めつけていることが、前進できないブレーキとなっているケース。
心の奥に仕舞われてしまった歪んだ感情は、大人になっても心の叫びとして表面化します。
当時の自分がどう感じて、どう思っていたかを思い出してみましょう。
①自分の感覚、思いを自分が認め、誰も理解してくれなくとも、自分だけは認めてあげること。
②自分らしく生きる決心と勇気を持つこと。
③自分と同じ感覚や思いを持つ他者との出会いを求めること。
ひとつずつ、段階に応じた欲求を満たしていくことです。
出来なかったことを「今」からしましょう。
欲も過ぎればただの毒
自己承認も、他者承認も、強すぎれば必ずどこかに歪みが生じます。
自己解決したのちも、「程々に」です。
しっかり循環を意識して、自分と相手の領域を見据える感覚を磨いていきましょう。