誰のために本当の自分を捨てる?

朝起きてから、頭の中で鳴りやまない曲があった。

サザンオールスターズ「ミス・ブランニュー・デイ」という曲なのだが、その中の一節が頭の中でリピートする。

「誰のために本当の君を捨てるの? クレイジー」

学生時代にヒットして、見様見真似のコピーしてたりしたなぁ・・・。

懐かしんで口ずさんでいたのだが・・・。

 

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本当の自分を捨てる?!

誰かに合わせた自分なのか、流行にのって楽しんでいる姿なのか。

そう言えば、学生時代に限らず、恋愛関係によくいるパターンの人かな。

恋人やパートナーの都合に合わせて、自分らしさをも捨てている姿は何度も見てきた。

スピリットの世界観で見ると、虚しくもあり、切なくもあり・・・。

しかも、自分以外の誰かの為に演じているとなると、それはもう・・・。

それはそれで、青春の謳歌と言えばそうなのだが、その在り方を引きずってしまって、嫌われたくない症候群に陥ってしまい、未だに恋愛がうまくいかない人もいるのだろう。

自分のしたいことは、誰かのために生きること・・・?

この考え方には賛同する部分もあるが、紙一重の部分もあるように感じる。

しっかり自分の軸を持っていて、それでいて「誰かのために生きる」のは崇高な部分。

だが、相手の軸を自分の軸と勘違いして、相手に合わせているだけなら自分らしさは失ってしまう。

心を投影して尊敬から、ある部分で相手の意志や軸を見習って自分のモノにしようとするのか。

それとも、相手に任せてただ乗っかっているだけなのか。

この意識の差は歴然であるし。

その気になってしまっているときは、誰の意見も耳に入らないのものだ。

恋愛を楽しんでいるのか、すがっているのか

自分軸のある人は、ある意味恋愛も楽しめるだろうなぁ。

パートナーとの意見の衝突。

共感して魂を響き合わせる。

喜怒哀楽を精一杯楽しんで、経験を自分の糧にできると思う。

相手軸である人は、相手の都合にあわせることにいつかは疲れてしまうだろうと思う。

ふと気づいたとき、とても疲弊している自分がいたりする。

社会に出ても同じ

会社のために尽くすのは当たり前のこと。

だが、意識の持ちようでは意味が変わると思う。

会社に自分を投影して、やりたいことを見つけて自分らしさを見出す意識。

会社に自分を投影して、出世という昇進に費やし、自分らしさを捨ててしまう人もいるだろう。

定年退職して、肩書のない自分に価値を見出せずにいる人も見たことがある。

 

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何が正しいかなんてわからない

自分らしく生きた人、そうでない人では人生の満足感が違うようにも思う。

自分に正直に、自分らしさを欠くことなく・・・。

自分がすべきことがあるとして、自分らしさなくしてそれを達成させることは出来ないだろう。

やりたい、したいことを真っすぐ出来る人、そうでない人。

結果的に世の中に受け入れられれば、正しい事になるのだろうか。

本当の自分を知るために、本当の自分を捨てる?

その考え方もあるだろう。

自分らしさ・・・というけれど、何が自分らしいのだろうと疑問にさえ思うときもある。

本当の自分って何?

「本当の自分を知るときは、死の間際だ」なんて言葉もあるし。

死の間際に見るという「人生の走馬燈」そのものが、本当の自分なのか?

走馬燈を客観的に見た時、初めてわかることなのか?

「自分らしさを知るために、自分らしくないことをする時がある」という言葉もあるし。

一部だけ切り取って考えてみたが・・・。

誰かのために自分を捨てる。

自分そのものを捨ててしまうと自分が無くなるよ。

でもさ、本当の自分は、捨てたり出来ないんだよね。

悩み、苦しみ、痛みなどを伴うけど、それは人生の中の一部分であって、経験でしかないのだろう。

渦中の人も、経験してきた人もいると思うけど。

 

頭の中でリピートする「ミス・ブランニュー・デイ」から、こんなことを考えている私でした。

ふとしたことの中に、いろんな角度で今を見るキッカケはあるものです。

スピリチュアル・マネジメント・カンパニー

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