親と子の価値観

私の父親は職人だった

縫製業を営み、バブル時代に翻弄された職人だった。

父親の価値観に違和感を感じ始めたのは、小学校高学年くらいだったか。

気質も相まって、上からの命令口調が多かった気がする。

親父本人が「子を放任主義で育てた」と豪語していただけあって、割に自由にさせてもらっていたとは思う。

しかし、職人肌の人の在り方は、私にとって、とても窮屈だった気がする。

そんな私も、仲間内からは「職人肌だ!!」と言われてしまうんだが。。。

 

 

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今回は「価値観」がテーマ

親の価値観を子はどう見てどう感じているのか。

また、子の価値観を親はどう見ているのか。

親から見たら、子はいつまでも子であって、子供扱いしてしまいがちなのかもしれない。

失敗はして欲しくないし、幸せになってほしいと願うのは、親ならば当然のことなのだろう。

親側の都合の押し付けで、子が反発することもあるだろう。

反抗期ともいう思春期特有の自我の目覚め。

この時期に親子の溝をつくってしまうご家庭も少なくないと、私は思っている。

現に、カウンセリング時に引っかかる歪みの原因の多くは、親への思いだからだ。

小さい頃のことは忘れてしまっていることも多いが、思春期の頃の記憶は割に鮮明なのです。

ゆえに、様々な壁を作ってしまう一つの原因となることが多いのです。

私の父親は「存在の実績」にこだわっていた。

生きた証を残すことが親父にとって最大の目的だったのか。

墓をはじめ、資産を残すとか、自分が祖になるとか。

子供たちのためと言いながら、自分の意義を優先させていたように感じる。

それは、「認められたい」という意識が強かったからだろう。ある時、資産のことで反発したことがあった。

母親の実の親(母は養子に出されていた)が亡くなったとき、突然の遺産相続の話が出てきた。

実の祖母の存在すら知らなかったことに驚きもしたが、快く受け取ろうとしたとき、父親の反対があった。

「子を捨てたやつと縁を結ぶんじゃない。」

いやいや、そもそも存在を知らされてなかったし、そんな縁があるなら知らされていれば何かと対処できたものを。

私は親父にブチ切れた。

親父は「俺の生き方を全て否定するのか!!」と逆ギレしたのだが。。。だから言った。

「自分の意志でどうするか決めるから、黙ってろ!!」

母親の死後、見ず知らずの先祖と名乗る人(霊体)たちが大勢押しかけてきて、散々頼み事をしてくることが続いていた。

知らん奴の頼みなんぞ聞けるか!!と反故してきたのだが、祖母の存在を知らされ、遺産相続の話が出たとたん、血の繋がりだから、するべきことをしなくてはならない。

遺産を受け取ろうが、受け取るまいが、血の繋がりがある以上、これはやるべきことなのだ。

このことを父親に話して聞かせたが、聞く耳を持たなかった。

自分の存在を決める価値観

親父の言い分もよくわかる。

母親を心底愛していたからこそ、その母親を捨てたであろう存在を許せなかったのだと思う。

必死に仕事をして、家族を養い、大好きな酒を飲みまくって、すい臓がんで親父は死んだ。

毎日同じことを繰り返して、ただこなすだけの仕事。

それはそれで、とても大事な仕事だと思う。

街に溢れるファッションの製造過程が実家にあったのだから、素晴らしい仕事だと思った。

ただ、私の生き方にはそぐわないと当時は思っていた。

今となっては、スピリチュアルというカテゴリなだけで、親父と何ら変わらないことをしている。

辛抱と忍耐の毎日。

親父を重ねると、尊敬しか出てこないのは事実だ。

ただ、もっと他にある未開拓にチャレンジしようとしているのも事実。

この血の繋がりを価値観だけで判断はできないが、大切なことは教わったと思う。

子にとって、親は偉大な存在

言いたいことは、「親に言われなくとも、子は見ている」ということ。

親の生き方をずっと見てきたのだから、言われると「分かってるよ!!」と反発したくもなる。

子には子の意志があるし、生き方を決める自由だってある。

親の価値観をそのまま受け継ぐ人もいるだろうし、一度反発して戻る人もいるだろうし、全く新しい事を始める人もいるだろう。

親の存在をふまえて、自分らしさを上塗りしていく意識の芽生えが大事なのだと思う。

だから、子の選択を信じてあげられる親になってほしいと思う。

親は親の、子は子の言い分があっていいと思う。

親も子も、一人の人間であるということをふまえて、しっかり向き合うことが大事なのだ。

どちらの価値観が正しいとか間違いとかいう問題にするのではなくて、その意志を大切にしてあげること。

失敗しても、心配するのではなく、再び立ち上がれることを教えられる親であること。

そのためには、親自身の在り方も見つめなければならないと思う。

 

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存在意義は認めさせなくとも、すでに認められている

私が親父に反発しながらも、親父の在り方がすっかり血に残っていたことを思い知った。

亡くなった親父も、たまに霊界からうちへと足を運んでくれる。

あの世に行っても酒好きなのが問題なのだが・・・。

この世において、何が正しいとか、間違いとかの価値観は、時代や文明によって変わるものです。

ただ言えることは、「その反対」を知らなくては、「そのもの」が分からないということ。

愛を知るために、愛ではないであろうことを知ること。

楽を知るために、苦を知ること。

全てが陰陽の理に準じているのです。

 

子を認め、信じ、愛しているからこそ生まれる感情は、親にとっての試練であり、自分と向き合う最高のきっかけであるのです。

自分が正しいと価値観を押し付けなくとも、子にはしっかり伝わっています。

子もまた、親の存在をしっかりと認めているからこそ、反発もするのです。

これを基準にして、今一度、親子関係を見直し、少しでも歪みを無くしていってくれればと思います。

参考ブログ

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価値観の相違はあって当然です

認め合う事が出来て、お互いの存在の大切さが分かると思います。

どちらから歩み寄るかはわかりませんが、もし意地を張っていることに気づいたならば、自分から歩み寄ってはいかがでしょうか。

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